08/04/23

●散歩の途中でふと蘇った古い記憶。学生の頃だから、もう十七、八年前になる。当時つき合っていた女の子が、大学に入って最初に借りたアパートがあまりにも不便なところにあったので引っ越しを考えていて、一緒に不動産屋をまわっていた(一緒に住むことを考えていたわけではないが、ぼくが住んでいた、つまり今でも住んでいる最寄り駅の近くで探していた)。だからそこには、不動産屋の車に乗って行ったはずだ。駅から少し離れているんですけど、とても良いところなんです、と不動産屋が言ったかどうかは憶えていない。どちらにしても、車にもバイクにも乗らないその女の子が住むために探していた部屋だから、そんなに極端に駅から遠いはずはない。その同じ日に、他にどんな部屋を見たのか、その不動産屋がどこだったのか、そういうことは全く憶えていなくて、ただ、そのアパートのあった一帯の記憶だけがある。住んでいる場所の近くのはずなのに、妙に見馴れない道を通って、周囲を高い木立に囲まれて、そこだけまわりから切り離されたような場所に、何棟ものアパートがまとまって建っていた。
そこが、自分が住んでいるところからそれほど遠くはない場所であることが信じられないくらい、雰囲気からして違っていた。まるで山奥の別荘地に入ってゆくように、軽く昇っている一本道だけが、その一帯に繋がっているという感じだった。確か、その、ゆるやかに昇ってゆく一本道の両側に、枝分かれするような細い道があって、そのそれぞれの道の先にアパートが一軒ずつ、全部で六棟だか八棟くらい建っていた。
その時見た部屋のことは全然憶えていない。ただ、その場所の、周囲からの切り離された感じと、その内部に漂う強い内輪感のようなものを印象深く憶えている。学生専用のアパートだったのか、そこには若い人しかいなかったという印象が残っている。道の脇とか、空き地になっているところとかに、何人かずつかたまって人がいて、その人たちがなんだか皆やけに楽しそうにしていて、そして皆、不動産屋の後について歩くぼくたちに親しげに声をかけてくるのだった。学生さんですか、どこの大学ですか、一緒に住むんですか、ここは楽しいですよ、是非引っ越し来てくださいよ、仲良くやりましょう。まるでその一帯が、独立したコミューンを形成しているかのような感じ。当時はまだ若かったし、今よりもずっと尖って、ギスギスした感じで生きていて(体型は今よりも丸かったけど)、見ず知らずの人に親しげに声をかけてくるようなベタベタした雰囲気を最も嫌っていて(大学のサークルの仲良しっぽさとかが大嫌いだった、今から考えればそれはたんなる自己防衛でしかないのだが)、そういう雰囲気にはほとんど自動的に、なんか気持ち悪いとか鬱陶しいという警戒感が発動するはずなのに、何故かその時だけは、その妙なくらいな生暖かくて馴れ馴れしい空気をとても好ましく感じていた。もし女の子がここに住んだら、ぼくもここの一員みたいになれるのかなあ、なとどと思ったりもしたくらいだ。
おそらく、その時に発生した自分自身の感情の動きの意外さによって、その場面を今でも憶えているのだと思う。その場所そのもののもつ特別な雰囲気が、ぼくにそのような感情の動き方をさせたのではないか、というように。というか、そこで感じた、「ここの仲間になりたい」という感情が、当時の自分の普段の感情の動きとはあまりにかけ離れているので、本当にその場面が現実であったのかが、とても怪しいとさえ思える。あれは夢だったのではないか。何か寂しいことがあって、集団のなかに暖かく迎えられることような夢を見ることを強く望んでいたということなのではないのか。そう考えると、この記憶自体が疑わしく思える。あの場所は本当にあったのだろうか。
そんなことを突然思い出したので、おぼろげな記憶をたどって、その場所のある辺りにまで行ってみようと思った。駅から、こっちの方向へ向って、これくらいの距離だったはずだ、という感じは残っているので、その辺りをぐるぐる歩いてみた。
行き着いたのは、山をざっくりと削って出来たような、割合新しめの、住宅の建ち並ぶ大規模な造成地だった。テレビドラマに出て来るような、いわゆる住宅地っぽい風景がそこにはあった。こういう場所は、平日の昼間はびっくりするほど人がいない。先までどこまでも住宅が並び、洗濯物も干され、どの家も手入れの行き届いた庭木や鉢植えが並び、ピカピカに磨かれた車があるのに、人の気配がない。ごくたまに、よろよろと歩く老人か、ベビーカーを押す若い母親か、郵便配達のバイクとすれ違うだけだ。ゆったりと幅がとられた広めの道路が、日を浴びてまっすぐにずっと先までつづいているのだけど、がらんとして何もない。こんなところをぶらぶら歩いているぼくは思いっきり不審者なのだが、ぼくはこういう人気のなさが変に好きなのだった。
結局、記憶は宙に吊られたままで、川沿いの道まで戻ってくると、川のこちらの岸から向こうの岸に渡ってロープが張られ、そこに沢山の鯉のぼりがつけられていて、川の上を風でゆったりと舞っていた。ソメイヨシノではない種類の桜(だと思う)が、気持ちの悪いほどに密集して、びっしりと満開の花をつけていた。その花の下に、花見をするというよりも日射しを避けるような感じで、何人ものお年寄りが座っていた。ぽかぽか暖かい日の川沿いの道は、平日の昼間でも人が多い。すれ違った中年の男性が桜を見て、「うざってえなあ」と言ったのが聞こえた。まさに「うざってえ」という感じで重たくびっしりと花をつけているのだった。