08/05/10

世田谷美術館で「冒険王・横尾忠則」展。ぼくは今までおそらく一度も、横尾忠則という画家に関心をもったことがなかったのだけど、人から強く薦められて、めったにない大規模な回顧展らしいし、せっかくの機会だからと思って観に行くことにした。しかし、まるでぼくの無意識が観ることに抵抗しているかのように、電車で本を読んでいて、乗り換えるべき駅を乗り過ごしてまた戻るということを二度もやってしまって、なかなか美術館にたどり着けなかった。
●会場に入ってすぐの、ルソーのパロディみたいな絵を観た時には、正直言って観に来たことを後悔した。この先、こんなへたくそな絵をたっぷり観せられるのかと思うと気が重くなった。
次のコーナーにすすみ、比較的大型画面の「Y字路」のシリーズになると様子がかわった。画面中央に建物があり、そこから左右に別れた二本の道路がずっと奥にまでのびているという構造は、この骨組みだけで既に何か根本的に不穏なものを含んでいるようで、これを発明したというだけで凄いことではないかと思った。上手いか下手かと言えば、中学生の美術部員が描いたような絵だとしか思えないのだけど、特に「宮崎の夜」と題されたシリーズの三点は、その一点のサブタイトルが示す通りに「台風前夜」というような不穏な空気、まだ何も起こっていないうちに、その予感だけで空間がはち切れそうに膨らんでいる感じがして、ゾクゾクするものがあった。リンチを思わせるような赤と黒との対比、あるいは「宮崎の夜2」のひたすらに黒い黒の質は、おそらく今まで絵画によって実現されたきた色彩の質とは、まったく別のところからやってきて絵画に宿ったかのように思われるものだ。
しばらくすすむと「二十年後のピカソ」という作品があって、これは、この展覧会のなかで、普通の意味で絵画としてもっとも完成度が高い作品で(そう感じられるのは、全体がピカソ風のタッチでまとめられているからだろう)、普通に絵画として傑作と言っていいのではないかと思った。滝なのか鍾乳洞の中なのか分からないが、上から水が落下してくる岩場を背景に、少年と少女が木製の橋を渡っている場面が、上下が転倒して描かれていて、そのフレームの左上の隅から、転倒した場面を俯瞰しているかのようなピカソの顔が描かれている。これはちょっと荒川修作的な転倒と双生児的な感覚を思わせるもので、地球上で生まれた生物のすべて(特に地上の生物)が、そもそもその存在の根本から前提にしている重力という感覚を、とても見事にくるっと宙に吊っている。
しかしその隣りに置かれた「ナポレオン、シャンバラ越え之図」という絵は、ぼくの絵画に関する感覚から言えばおよそあり得ない最悪の絵で、おそらく表現主義のパロディを意図したものと思われる色使いは、観ているだけで気持ちが悪くなる。ぼくの感覚から言えば、この二枚の絵が「並んでいる」ということがあり得ない話で、このあり得なさに心臓が圧迫される。ここで、気持ちが悪いとか心臓が圧迫されるというのは決して比喩的な表現ではなくて、実際に気持ちが悪くなり、心臓がバクバクしはじめた、ということだ。
このあたりでぼくは、個々の作品に対して分析的に把握したり、良いとか悪いとか判断したりすることを放棄した。とにかく、絵を観るということが、こんなに直接的にフィジカルに作用してくるものだということを、はじめて体験した気がする。心臓はバクバクするし、胃はキリキリとするし、胸はムカムカする。
ぼくは画家で、すくなくともここ二十年以上は、生活の中心も関心の中心も絵画にあって、画家として自分の感覚をつくってきた。それは例えば、職人が機械で測定出来ないほどの小さな誤差を手触りで感知するというような、そのような感覚を、絵画において自らのものに出来るのように感覚を磨き上げるということでもある。(今の自分にそんなに大それたことが出来るとは言わないけど。)横尾忠則の絵は、ぼくのこのような感覚に根本から揺さぶりをかけてくる。というか襲いかかって来る。
ぼくだって現代の東京に生きているのだから、例えば歌舞伎町の派手なネオンの下を通るくらいでは、趣味が悪いとは思っても感覚が耐えられないなどということはない。それはごく日常的な風景として処理される。しかし、横尾忠則の絵は、そんなものよりもずっと激しく、ぼくの感覚の「許せない」と感じる部分につかみかかって来る。その絵の具の練り、そのプロポーションの狂い方、その色彩の配置の仕方、そのいちいちが身体に(決してポジティブな意味でではなく)びんびんと「くる」のだ。絵を観るというよりもむしろ、苦行をくぐり抜けるという感じですすんでゆく。
それでもまだ、展示の前半部である二階の展示室は甘かった。一階の展示室では、さらにすさまじいことになっていた。だいたい、画家に転向して二十年以上も油絵の具やアクリル絵の具で絵を(しかも無茶苦茶精力的に)描き続けている人が、何でこんなに下手でいつづけられるのかが不思議なのだ。下手という言葉を使うと、上から目線で、ちょっと余裕こいて軽くバカにしているというようなニュアンスにとられるかもしれないのだが、全然そんなことはない。絵を観ているぼくには全く余裕がない。何かの感覚が、まったくオブラートに包まれることなく、何のクッションも間になく、直接的に、無遠慮にこちらの内部にべろっと入り込んでくる感じのことを、とりあえずそう呼ぶしかないから下手と言っているのだ。「ブルーアイランド」の青とか、これあり得ねえだろう、「花巻温泉」の赤とか、これあり得ねえだろう、こんなこと許されるはずねえだろう、と頭のなかでぶつぶつ言って抵抗してみるのだが、それは既にこちらへ無遠慮に入り込んできてしまっている。
これもまた比喩でも大げさにでもなく、本当に足下がおぼつかなくなって、目眩でくらっと一瞬倒れそうになった。(昨晩はちゃんと寝ているし朝食も食べている。)一階の展示のなかでもっとも作品として完成度が高く、普通にきっちり出来ていると思われる「集合と分散--その力と動き」の前にあるソファーに座ってすこし休んだ。展覧会を観ることがこんなに「苦しい」経験だということははじめてだ。
横尾忠則は、美術史的には、80年代に世界的に流行したニューペインティング(新表現主義)の画家の一員ということになるだろう。イラストレーターから「画家宣言」をしたのも、そのような流れのなかでのことだ。ただこれは、美術史上の出来事というより、特定の画廊が仕掛けた流行という側面が強くて、今では、新表現主義として活躍した画家の名前を聞くことはほとんどなくなってしまった。
だから、当時から現在まで一貫して同じようなスタイルで絵を描きつづけている横尾忠則は、もともと「一人わが道を行く人」だったのだ。ニューペインティングの流行が横尾忠則に火をつけたとしても、実際にはニューペインティングとは全く関係がなかったのだろうと思う。横尾忠則の頭の中は「実際にこうなっている」としか思えないような強さが作品にはあるのだ。しかし本当に頭のなかが「こうなっている」のだとしたら、そのような頭のなかと、日常的な現実との折り合いを、横尾忠則はどうやってつけているのだろうか。
正直、こんなもの観なければよかったと思った。しかし、観てしまったからには、これを観なかったことにしたり忘れたりすることは出来ないと思う。観てしまったからには、このことについて考え、このことに影響をされないわけにはいかないだろう。(いや、いきなり横尾風の絵を描きはじめたりするとか、そういうことはあり得ないけど。)とりあえず、今のぼくにでも何とか受け入れられる、「Y字路」シリーズや「二十年後のピカソ」、「集合と分散--その力と動き」あたりが、考える入り口となり得るかもしれない。
美術館から用賀の駅まで歩く間、胸焼けと原因不明のゲップがつづいた。