●16日からはじまる「組立」展で配布する予定のフリーペーパーが完成したみたいだ(http://d.hatena.ne.jp/nagase001/20080612)。このフリーペーパーの全貌を知るのは編集した永瀬さんのみで、ぼくは、自分の書いた原稿についてしか知らない。ただ、ここにみられる執筆陣の名前(池田剛介、内海聖史、永瀬恭一、古谷利裕)をみると、永瀬さんとこの展覧会のために最初に会って話した時に、永瀬さんが抱いていたもくろみが、そのまま実現したのだということが分る。この四人の執筆者は皆、美術作家であり、同時に、ブログやウェブ日記などでなにかしらの「言葉」を発信している。日本では、「理屈を言う美術家」はそれだけで嫌われる。作家は寡黙に、あるいは素朴に、ただ作品のみを提出することが好まれる(批評家なり、キュレーターなり、コレクターなりが、勝手に言葉を付与できるから)。この四人は、それぞれ異なるスタンスではあるが、そのような風潮(空気)に抗している。それと同時に、昔風の「理論派」(昔から理論派と呼ばれる作家は存在した、しかし、少なくともぼくは昔の「理論派」をあまり信用していないのだが)とは全く異なる形で、自身のつくる作品と言葉との距離を(関係を)探っているようにみえる。昔風の理論派よりも、より複雑に屈折した形で、かつ、より柔軟で繊細に、言葉や理屈との関係をつくっているように思う。
そのような共通点があるとはいえ、この四人が何らかの形で徒党を組むことは考えにくく、それぞれのスタンスは異なるし、そして、おそらく、それぞれの作品の方向性や言葉の取り扱いに対して、少なからず違和感を感じてもいるはずでもある。そのような意味で、このフリーペーパーの紙面には、決してなあなあにはならない緊張感が漲っているのだろうと、推測される。だから、なによりぼく自身、このフリーペーパーを読めることを楽しみにしている。
●ぼくは、このフリーペーパーに、ヘレン・フランケンサーラーという、戦後アメリカの、抽象表現主義の代表的な女性画家について書いている。フランケンサーラーという名前を聞いて、どんな作品をつくったかをすぐイメージ出来る人はとても少ないだろう。(今、普通に書店で最も手に入りやすい画集では、TASCHENというところから出ている「抽象表現主義」という本で、二点、図版を観ることが出来る。)ただ、ぼくはフランケンサーラーについて書いているのと同時に、現在のぼく自身が作品を制作する時に、最も関心を持っている点の一つについて書いてもいるわけだ。つまり、画家であるぼくが、フランケンサーラーに強い関心を持っているということは、そいういことを意味する。だから、ぼくがフランケンサーラーについて書いていることを参照しつつ、ぼくの作品を観てもらってもいいと思う。
●住んでいるところの近くにあるホームセンターへ行って、15日の搬入・展示に使うものを買って来る。しかし、実際にギャラリーに行って細かい点を確認できていないので、今日買ったものや、抱いているイメージが、すべてチャラになってしまう可能性もあるわけだが。
●淡々とこなすしかないキツい用事の終わりが、ようやくみえてきた。あと一踏ん張り。どうやら、14日の夜は『夜明け前後』を観に行くことが出来そうだ(チケット完売、当日券なし、なんてことがないことを祈る)。