●展覧会初日。今日は朝からギャラリーにいた。夕方から、土曜にある対談の打ち合わせで磯崎憲一郎さんが来られる予定なので、昼過ぎのあまりお客さんがこない時間を使って、『肝心の子供』を読み返していた。しかし、読み返せば読み返すほど途方に暮れるというか、何かもっともらしいことを言おうとすると全て嘘くさく感じられてしまうような小説で、うーんと、頭を抱えてしまう。
六時半過ぎに会社帰りの磯崎さんが来られる。「別に特に言う事もないですけどねえ」「いや、本当に、それぞれが読むしかないんですよねえ、これは」という話からはじまり、どうなることかとも思ったのだが、磯崎さんが自ら、様々なネタを披露してくれて、あ、その話、今ここで言うのはもったいないから本番まで取っておいて欲しい、というようなことまでいろいろ話されたので、この感じなら、なんとかなるだろうと思った。
というか、そもそも、『肝心の子供』や『眼と太陽』という小説に「ついて」、作家の磯崎さんに話を聞こうとするのが間違いで、『肝心の子供』や『眼と太陽』を書いた、作家、磯崎憲一郎に、小説を「めぐる」様々なことを聞く、というスタンスでいけばいいのだと気がついた。作家としての磯崎さんが喋ることが、どの程度(あるいは、どのような形で)磯崎さんの小説作品そのものと関係があるのかなんていうことは、聞いた人がそれぞれ判断すればいいことだし、そんなことは磯崎さん自身にだって分っているわけでないはずなのだった。磯崎さんを前にして、磯崎論をやるほどバカげたことはないのだ。作品そのものについては、それぞれの読者が読むしかないので、その、それぞれで読むしかない読者にとって、磯崎さんの話が、磯崎作品について新たの方向から光をあてられる、あらたな気付きがもたらされる、きっかけの一つになれば、それでいいわけなのだった。