●ぼくは普段、大概ぼーっとしているのだが、何かを思いつくのは、ぼーっとしている時だ。ということはつまり、ぼーっとしているということは、最も縛りの緩い、最も複雑で自由な形で考えているということなのだと思う。「これ」について考えようという風に、「これ」という対象の限定さえない形で何かを考えること。何かを思いつき、ある方向が見えれば、「それ」について、集中して、入り込んで考えてゆくことが出来るが、それ以前の、考えるための何かしらの引っかかりを得るために、何かしらの方向を得るために、考えようとすれば、それは「ぼーっとする」以外にやりようがない。
ぼくは空いた電車に乗るのが好きで、よく、ただぼーっとするためだけに昼間の空いた電車に乗る。電車に乗っても、窓の外の風景をさえ見ているわけではないようだ。ただ、椅子に座ってぼーっとしている。電車に乗ってぼーっとするのがいいのは、ただ部屋でぼーっとしたり、喫茶店でぼーっとしたりするのと違って、揺れがあることと、そして、移動しているという事が違っていて、どうもそれがいいみたいだ。意味もなく(風景を見るでもなく)、ただ「移動している」という感じが、いいみたいなのだった。