●『石の微笑』(クロード・シャブロル)をDVDで。ヌーヴェル・ヴァーグの洗練の極地というか、ヌーヴェル・ヴァーグが巨匠になるとこうなる、という映画。観ている間じゅうずっと、はあーっ、という感じで感心しっぱなしだった。しかし、感心するということと、面白いと思うということとは、必ずしも一致しないのだなあ、ということもすごく感じた。すごく立派なものだと思う一方で、やはりヌーヴェル・ヴァーグは洗練されてはいけないものなのではないか、とも思う。
明らかに、ジャンルという外枠というか、典型的(紋切り型)な「悪女にハマる」話という形式を採用し、典型的な道具立ても使いつつ(彫刻の使い方なども「いかにも」な感じだ)、しかし、それとは別のもっと生々しいところで(内側から)映画を成立させようとしているところがいかにもヌーヴェル・ヴァーグで、誰が考えたってこんな女性にハマったらヤバいに決まってるだろうということがミエミエなのに、それが分かっていてずるずると深みにハマってしまう男の話で、そして、魔性の人というのは必ずしも凄い美人という訳ではなくて、冷静に見ればそんなには冴えない感じなのだがそれが却って後を引くというのか、そんな感じで、この映画ではそういう感じが凄くリアルではあると思う。ローラ・スメットが、結婚式の記念撮影のシーンで最初に出て来た時は、えっ、この人がヒロインなの?、というくらい冴えない感じなのだが(と同時に、絶対この人がヒロインであるはずだという不穏さの徴を最初からまとっていて、だからこそ、「えっ、この人が」と思うのだが)、それが次第に(というより、急激に、と言うべきか)「この女、絶対ヤバい」みたいになってゆく描写といか、演技というか、存在感というか、眼差しというか、それが凄く生々しくて、この生々しさこそが、典型的な物語の枠を内側から打ち破るものとなる。
しかし、とは言っても、この物語の外枠はあまりに古典的というか、紋切り型というか、古臭さが感じられてしまって、内側からのリアリティを感じつつも(つまりローラ・スメットは素晴らしいわけだけど)、最後まで、ぼくはどうしてもこれには乗り切れない、という感じが振り切られるところまではいかなかった。これは、作品そのものの問題なのか、(こういう題材に敏感に反応出来ない、悪い女にほとんど惹かれない)ぼく自身の側の問題なのか分からないのだが、観ている間じゅうずっと、こんなに立派な作品なのに、何故、面白いと感じられないのか、ということをずっと考えていた。ラストが、えっ、ここで終わっちゃうの、というところでスパッと切られることとか、すごく洗練を感じるのだが、その洗練がまた、古臭いという感じも同時に漂わせてしまう。