●ひきつづき残雪。「不思議な木の家」と「世外の桃源」は、ちょっと上手く書かれ過ぎというか、現代小説のお手本みたいな感じがして、初期の作品の方が面白いのかなあと一瞬思ったのだが、近作である「暗夜」が、なんだこりゃ、っていう程に面白い。この作家は本当に何者なんだ !、と思う。初期のものは、細部の感触の強烈さやデコボコした感触によって、常に全体性がほころびてゆく感じだったのが、「暗夜」は、細部も全体も徹底して掴みどころが無く、しかも作品の外への通路も開いていて、同時に、普通に面白い。ジャ・ジャンクーの『青の稲妻』の風景を思い出しながら読んだ。(以下、引用する部分は、作品の収束点というか、根拠とも言えるところだが、しかし当然、そのようなところにこの作品の面白さが収束されてしまうわけではない。)
《ぼくは乾燥食を食べながら足を速めた。来るとき、この路上は一輪車の千軍万馬だった。今ごろ彼らはみな猿山に着いていることだろう。物心がついたころから、ぼくはこの道路の車の往来と燦々と照る太陽、陽光の下のあわただしさと喧噪を見てきた。だが今は真っ暗で、がらんとしている。ぼくらが住んでいるのは辺鄙な片田舎なのに、だれがこんな広い道路をつくったのだろう。みなこの道路は烏県に通じているというが、ぼくは、烏県の人に会ったとは証明できない。母の話では、外の県の人がこの道路をつくったのだという。もともとぼくらの村は通らないはずだったが、隣村まで来たとき、小さな山が突然崩れて行く手をふさいだため、迂回してぼくらの村に来たのだ。母はこうもいった。道路の竣工式のあの日、黒い喪章をつけた隣村の人々がぎっしりと道路を埋めた。それは何万人という大きな村だったが、山崩れで二千人も埋まってしまったのだと。(略)
いつもぼくが怠けていると、母はこう叱った。「お前の頭のなかはあの道路のように暗い」あのころぼくには母のいうことが理解できなかった。道路はあんなに明るいのに、どうして暗いなどというのか。どうやら母もとうの昔からこの秘密に通じていたらしい。》
《「お前、親戚へのあいさつもなしか? おれは矮秀だぞ」あの男が後ろから耳障りなことをいった。
「おれは孤児たちといっしょに楽しくやっている。おれたちは、おまえが来るのを待っていたのだ。とにかくお前は来たから安心した。以前はみなであれこれ推測したが、お前が来るのか来ないのかわからず、おれはこの孤児たちといっしょに夜な夜な一輪車を押して道路を往ったり来たり、それは寂しかったぞ」
彼はしばらくぼくについてきたが、つまらなくなってあきらめた。
ぼくは矮秀を恐れなかった。なにはともあれ、ぼくの親戚なのだ。しかし彼はどうして孤児だちといっしょにいるのだろう? 斉四爺の話では、夜にぶらつく孤児はみな、すでに死んだ人間なのだという。ぼくは思った。たとえ亡霊でも違いはあるはずだ。あの孤児たちは、つまるところ悪意に満ちた板村の者だ。もともと道路は彼らの村を通るはずだったのに、今や村は荒れ果て、村人は毎年ぼくらの村に物乞いに来る。ぼくはそんなことを考えながら、せかせかと道を急いだ。さっき矮秀は「安心した」といったが、何に安心したのだろう? なんとあの亡霊どもは、ぼくというこの生きている人間について推測しつづけてきたのだ。まったく鳥肌がたつ。以前ぼくは斉四爺の小屋に横になって、一輪車が上を往ったり来たりする音を聞いたが、よもや亡霊が車を押していようとは思わなかった。斉四爺は、あそこに横になって何年もそれを聞きながら、なにを考えていたのだろう。彼は亡霊が車を押す音を聞くために、わざわざ道路際の低地に家を建てたのだろうか? 》
●《「お前の頭のなかはあの道路のように暗い」》というところと《なんとあの亡霊どもは、ぼくというこの生きている人間について推測しつづけてきたのだ》というところが、すごく面白い。
●夕方のつけっぱなしのテレビからニュースが流れていて、フジサンケイグループがやっている(正確にはそうではないのかもしれないが)世界文化賞の絵画部門でリチャード・ハミルトンが受賞したと言っているのが聞こえて来た。うわっ、その名前すごく久しぶりに聞く、と思って、まだ生きていたのか、と思う。最近はどんな作品をつくっているのだろうと思って画面に目をやると、そこで示されたのは、二十世紀美術史の本には必ず載っているあの有名な(ポップアートの最初の作品と言われる)「一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」(1956年)で、この人はずっと、これ一点だけの人として(というか、されて)生きつづけているのかと思った。