●お知らせ。「映画芸術」425号に、北野武アキレスと亀』のレビュー、「お母さん、あのね」が載っています(内容にぴったりのスチール写真をつけていただいて感謝します)。送られてきた雑誌をみて、前の感じに戻っていたので、「あれっ」と思いました。「映芸」もいろいろ大変なのだろうと推測しますが、これだけ充実した土本典昭の特集とか、他の雑誌ではおそらくあり得ないので、今後もがんばっていただきたいです。
●ホームで電車を待っている時、時刻表も、時計も見ないで、あとどれくらいで電車がくるのか予測出来ない状態で待っていると、たったそれだけのことで、時間が流れる方向を失い、流れが滞って平面状にひろがりだし、急にざわざわと、いろいろなことが並立的に目に入ってきたり、耳に入ってきたりする。せいぜい、一分で来るのか十分で来るのかくらいの幅しかないのに、(予想される待ち時間という)フレームにブレ幅が生じると、様々な細部の位置や意味が不確定になって、確定していないからこそ見えるものが見えてくる。(例えば、あと一分で電車が来るとすれば、目の前の景色をぼんやりと見ているかもしれないが、まだ十分は来ないとすれば、鞄から本を取り出すかも知れない。でも、そのどちらとも分からないから何をすることも出来ない、いつまでつづくか分からない手持ち無沙汰の時間のなかだからこそ、見えてくるものがある。)
●吉祥寺の「百年」(http://100hyakunen.com/)のイベント(大竹昭子×柴崎友香)に行った。おそらく、このお二人のする「散歩」と、ぼくの「散歩」とは、ニュアンスがちょっと(かなり?)違うのだな、と思った。柴崎さんによる谷崎の『猫と庄造と二人のをんな』の朗読が面白かった(でも、手紙に「オホホホホホホ」とか書くだろうか)。