●ここのところずっと、稀に出かけたりはするけど、基本的には、午前中は散歩していて、午後から夜までずっと、喫茶店で粘って、今月末までにこなさなければいけない用事(何かを書いているわけではなく、もっとひたすら「こなす」感じの用事で、しかもそれなりに責任があるのでプレッシャーも迷いもある)をずっとしているという単調な毎日がつづいている(この用事でかなり疲れ切ってしまうので、本を読める気力は一時間分くらいしか残ってない)。で、今日も午前中は散歩していたのだが、部屋に戻ってみると水道が止められていて驚いた。えっ、水道って本当に止められちゃうんだ、と思った。貧乏生活は随分と長いけど、水道が止まってしまったのははじめてで(電話やガスはけっこう頻繁に止まってしまう)、電気は東京電力の管轄で、公共性が高いとはいえ一応企業だから本当に止められるかもしれないと思って無理してでも料金を(しばしば二月遅れくらいで)払うのだが、水道は、市役所のやってることだし生活の基本なので、そうそう簡単には止めないだろうと思って後回しにしていたら、止められた。水が出ないとさすがに困るので、その足で市役所の近くにある水道サービスステーションというところまで支払いに行った。水道代なんてせいぜい数千円なわけだが、今月は(今月も)とても厳しいので、とても厳しい。
●それと関係があるような、ないような話。30日の四谷のレクチャーでの、水無田気流さんの話で驚いたこと。以下、手元にあるレジュメをそのまま引用する。《平均所得の50%以下の世帯は、90年代の8%から2000年代には15.3%へ(OECD諸国平均10.2%)》《家計所得の上位20%と下位20%の格差:80年代10倍、96年33倍、99年61倍、2002年168倍》。最初の方は、実感としても、まあ、そんな感じなのだろうとは思うけど、二つ目の方は、予想を超えた衝撃的な数字で、この二十年で、世界は(日本は)、経済的にはまったくの別物のように変化してしまったんだなあと思った。この、現実のあまりのデタラメさには、思わず笑ってしまいさえする。