●父方の祖母は95歳だけど、耳が遠いほかは、足腰も頭もけっこうしっかりしていて、近所への買い物や墓参りくらいは一人で行ける。ただ、耳が遠いから(というより、耳が遠いことをいいことにして)、自分の言いたいことだけを言って、人の言うことを聞かない。親切さと紙一重の、ある種の「おしつけがましさ」というのは田舎の人の特徴でもあるが、それを好意的なものとして受けとめるか、うっとうしいと思うかは、こちらの心のもちようにもよる。
「たかし(弟と名前を間違えている)、紐、使うだろ、これ、もっていきな」「紐?、別に使わないよ」「何かあったとき、紐があると便利だから」「紐が必要な何かって、そんなにないけど」「ちょっとした時、紐があると随分違うと思って、つくっといてやったから」(着古した衣類を細長く切って縫い合わせたものを渡される。)「これ、何に使うの」「ちょっとした時、紐があると助かるよ」「……(ちょっとした時って、どういう時なんだ)」「お前が使うと思って、つくっといてやったから」「……、ああ、ありがと」
「お前、腰巻き持ってるか」「腰巻き?、そんなの持ってないよ」「必要だろ、おばあちゃん、ささっと、つくっといたから」「…(腰巻きって…)」「お腹が冷えたりするだろ」「さすがにそれは使わないから」「下に着てると随分違うよ」「いや、着ないから、いらないから」「お前が寒かろうと思って、つくったんだよ」「……、わかったよ、ありがと」
「靴下、いるか」「靴下は、まあ、沢山あっても困らないけど」「お前のとこ寒いだろ、足が冷たいと大変だから、もっていきな」「ああ、ありがと(でも、どうみても新品じゃなくて、自分が履き古したものなのだった)」
●父方の祖父が亡くなる前にも、家には仏壇があったし、家の近所にお墓もあった。それは漠然としたご先祖様としてあったのだが、祖父の死後、そこは「おじいちゃん」のいる場所になった。お墓の横には、墓誌として祖父以外にもふたつの戒名が刻まれているから、お骨も祖父だけのものがそこにあるわけではないし、仏壇は特定の誰かの場所ではなく「仏さん」と呼ばれる場所だった。だが、祖父の死後、祖母にとってもそこはおじいちゃんのいる場所で、例えば、祖母は食事の前に必ず「おとうさんの分」として、食べ物を仏壇にお供えして手を合わせ、その後で、供えたものを自分で食べる。ぼくも、帰省すれば一度は仏壇に手を合わせるのだが、その時の気持ちとしては、明確に「おじいちゃん」に向かって手を合わせている。もともとぼくには、祖父が亡くなる以前は仏壇に手を合わせる習慣などなかった。お供えものの、みかんや羊羹やあめ玉などをもらう時、形ばかりに手を合わせはしたが。
祖父は酒好きでタバコ好きで、焼酎をビールで割って飲むような人だったし、医者に強くタバコをやめろと言われても、最後までトイレで隠れて吸っていた。だから、お墓参りする時(それは大抵、帰省する正月なのだが)は、コンビニでワンカップとタバコ(祖父が吸っていた銘柄は今ではほとんど売っていないので別ので代替する)を買ってお供えする。ワンカップは蓋を開け、タバコはお線香のように火をつけて置いておく。でも、本当はそこにはおじいちゃんだけがいるわけではないのだが。
祖父は、米寿をむかえる直前に亡くなった。前日まで元気だったが、朝方に家で倒れて救急車で病院に運ばれ、昼頃に一度良くなって、午後に容態が急変し、夕方に亡くなって、夜には葬儀屋によってきれいになった遺体が家に帰ってきた(その時ぼくは大学生でもう家は出ていたが、その日は帰省していて家にいた)。朝まで(生きて)眠っていたその同じ布団に、その日の夜には遺体となって横たわっていた。通夜も葬儀も斎場ではなく家で行った(出棺までの三、四日くらい、遺体は「ウチの中」にあって、遺体と共に暮らした)。その家も、建て替えるために取り壊されてから十年を越えた。通夜は翌日(だったか翌々日)なので、その日はそのまま(棺桶には入らず)、祖父と祖母がいつも寝ている部屋に遺体が置かれた。祖母は、いつもそうしているように、祖父の遺体の横に布団を敷いてそこで眠った。今朝まで(の、おそらく70年ちかい時間)隣りで生きて眠っていた人が、今は遺体となってそこにいる。その一晩(もしかしたら二晩)を、おばあちゃんはどういう気持ちで過ごしたのだろうかと、それ以来、ぼくは何度も想像してみようとするが、計り知れない。
●実家にいる間、『三人の女』(ムージル)ばかりを何度か繰り返して読んだ。