JR中央線日野駅のホームがとても好きだ。実は、日野駅の改札を出たことは一度もないのだが、中央線の下り電車には、たまに豊田行きというのがあって(豊田に車庫があるせい?)、豊田というのは東京側からみると八王子の一つ手前の駅なので、なぜそこまで行ってそこで止まるのか! といつも思ってしまうのだが、豊田行きに乗って豊田まで行って、改めて高尾行きの電車を待つと(豊田からは、八王子、西八王子、高尾、となり、ぼくは西八王子に住んでいる)、階段を上ってとなりのホームまで行かなくてはならないので、その豊田のさらに一つ手前の、ホームが一本しかない日野駅で下りて電車を待つことになる。
日野駅は高いところにある。たんに、高架の上にある駅ならほかにもあるのだが、日野駅は、まるで小高い丘の上にいる感じで、普通の高架より高い気がする。高いところにあるにもかかわらず、囲いというのか、ガードするものがなにもなくて、もろに露出しているというか、吹きっさらしで、駅前の大通りが、すぐ目の前に、遮るものがなにもなく、どかっとそこにあるのだ。ホームを歩いていると宙に浮いているようだし、風に煽られ、ちょっと転んで線路に落ちたら、そのままころころ転がって、大通りの真ん中にどかっと落下してしまいそうだ。この、高さと近さと遮るものの無さとが相まって、ちょっと他では感じられないような、独自の感覚が得られる。
中央線とは言っても、中野あたりのいかにも中央線沿線という建て込んだ風景ではなく、かなり郊外なので、視界は遠くまで広がっていて、さらに一層、中空に露出された吹きっさらし感が増す。線路とほぼ直角に交わる大通りが、ずっと先まで見渡せ、しかもそれがすぐ目先のそこにまで繋がっていて、目先のそこはちょっと手を伸ばせば触れることが出来そうな近さを(その遮るものの無さによって)感じさせる。よく晴れた日など、アスファルトの表面のデコボコした触感までが生々しく感じられ、そこを通る車の屋根のつるつるした光沢にまで手が届きそうだ。歩いている人はちょっと声をかければ届きそうなのだか、しかし視点は俯瞰的なもので、やはり遠いのだ。まるで道路の真ん中に立っているような遮るものの無い近さと、しかし、遠くまで見渡せ、上から見下ろしているという遠さとが両立して、まるで夢でもみているような、遠近感、距離感が消失した風景となる。ガードがないので、何かとても頼りない感じなのも面白い。
ホームに下りなくても、乗っている車両の位置によっては、日野駅で電車が停まり、ドアが開くと、車両のなかに居ながらも、目の前にいきなり大通りがどかっとあらわれる、ということもある。