●ロスコ展のことはずっと気になっている。観てきた人からの評判もいろいろ聞いている。会期の終わりも迫ってきている。まあ、ごく普通に、観ておくべき展示なのだと思う。しかし、どうしても気持ちがそちらに向かない。是非、観に行きたいという気持ちにならない。ひとつには、川村記念美術館が遠い、ということがある。うちからだと片道で三時間以上かかるし、交通費は往復で四千円を超える(入場料など含めると、けっこう痛い出費となる)。しかしそんなことは大した問題ではない、ルイス展には興奮していそいそと出かけて行ったし、マティスとボナールには2度も行ったのだから。
今、ロスコを観たいという気持ちにならないのだ。ロスコが嫌いなわけではない。それは、観ればいいと思うに決まっている。今、「観ればいいと思うにきまっている」と書いている時に想定している「よさ」よりも数段上のよさを、実際に観れば感じるに違いないだろう。それでも、今、ロスコに触れることは避けたいという気持ちが消えない。いや、避けたいというような積極的な気持ちではなく、ロスコを観るために遠くまで出かけるのはどうも億劫だ、という、あやふやで消極的な感じなのだが。このような感じには「従った方が良い」という気もするし、むしろ、このような気持ちをこそ「乗り越える」べきではないかという気持ちもある。要するに、ロスコについての気持ちは、とてもうじうじしたものなのだ。(なんというのか、ロスコの「よさ」は、とても微妙なもので、その微妙さに、今、触れる準備が自分にあるのか、ということなのだが。)
本だったら、これは、今は読みたくないけど、いつかはきっと読むだろうから、とりあえず持っておくべき、というのがアリなのだが、展覧会は会期が終れば観られなくなってしまう。とはいえ、ロスコの作品自体がなくなってしまうわけではないのだが。
ロスコをまとめて観たのは、九十年代はじめ頃に東京都現代美術館でやった回顧展が最後なのだが、それ以降も、いろいろな展覧会で二、三点ずつという感じではちょこちょこと観ているので(ロスコのことは普段は忘れているのだが、なんとか美術館収蔵展みたいな展覧会でたまたま観かけることがあると、あー、やっぱりいいなあ、と思う)、それほど「観とかなきゃ」という気持ちにならないのかも知れないのだが。ロスコは、例えばルイスやポロックなどと比べても、日本では割合受け入れられ易いというか(モネがマネより人気がある、みたいな感じで)、人気がある感じなのも、「まあ、今、観なくても」という気持ちになる原因なのかも知れない。
とにかく、ぼくの抽象表現主義の作家に対する感情は愛憎入り交じって複雑過ぎて、自分でももてあましてしまうものがある。うだうだ言ってないで、さっさと佐倉に向けて電車にのっちゃえよ、と自分を叱咤したいのだが。