●昨日書いたHとの想い出。中学の卒業式の日、HやIやKやYと一緒に帰った。中学時代を通して一番仲の良かったSやOとは、帰り道がまったく逆方向だったので一緒に帰ることはなかった。田舎で、学区のやたらと広い中学だったので、帰りに方角の違う友達の家に寄るというのは困難だった。帰り道は、川沿いの土手を三十分くらい下流に向かって歩く。新幹線のガードをくぐるまでは市街化調整区域で人家がなく、ずっと遠くまで田んぼや畑がひろがっている。Hは、柏原芳恵の「春なのに」を大声で歌いだし、「記念にくださいボタンをひとつ、青い空に捨てます」の「青い空にすてますーっ」という部分を繰り返し歌いながら(実際によく晴れて空は真っ青だった)、鞄の中のものを次々と河原へ向かって放り投げ、捨てていった。最後には鞄も捨ててしまった(鞄はフリスビーみたいに、ひゅるひゅるっと飛んでいった)。さすがに、卒業証書は捨てなかったと思う。「古谷もやれよ」とHが言うので、ぼくは上履きだけ投げた(こういうところ、自分はつくづく「つまんない奴」だなあと思う)。まず片方を思いっきり上空へ向かって投げると、上履きはくるくる回転しながら空へ昇ってゆき、ある点までゆくと回転したまま方向を変えて落下し、川まで届き、水のなかにポチャンと落ちた。おおーっ、と歓声があがる。「古谷さんサウスポーっすね」と何故か「さん」付けでカニに顔が似ているYが言う。投げたという確かな感触と爽快感が手と肩に残り、上履きを選んだのは正解だと思った。それはその時の感情にぴったりした行為だった。しかし、もう一方を投げる時はへんに肩に力が入ってしまって、上履きはあさっての方向に飛んでゆき、生い茂る雑草のなかに音もなく落ちた。スカだった。「だっせー、緊張してやんの」と言ったのはIだったかKだったか。卒業式の日のことで憶えているのは、この場面だけだ。
●ある小説の細部から、まったく別の小説の細部がふいに腑に落ちる、ということがある。緑色の目の白人男性から話しかけられて、緑色の目はしかし、こちらを見ていても見られているような気がしない、という細部をもつ小説を読んで、全然別の作家の別の小説で、ある白人女性の眼差しについて、相手を見ていながら、相手を射抜いて、突き抜けたその向こう側を見ているようだ、と書かれている、その眼差しの「感じ」が納得できたような気がした。ただ、後者の小説では、その女性の瞳の色は具体的には書かれていないのだが。