●朝、起きてから、ふと思い立って、東京都現代美術館へ行くことにした。あまりに久しぶりだったので道を間違えた。メアリー・ブレア(と書こうとして、リンダ・ブレアと書きそうになってしまう、リンダ・ブレアは『エクソシスト』に出ていた女優)は観たいと思っていたのだが、きっとすごく混むだろうと思って尻込みしていた。実際、すごく混んでいて、美術館に着くと、建物の外にまで傘立てが増設してあって、そこに傘がずらっと立てられているのを見た時には、あー、やっぱり、と思って心が折れそうになった。外は雨で、今日は夕方までにゲラの直しを返さなければならず、天気予報によると明日は雨があがるようなので、なにも今日ではなくても明日にすればよいのだが、そんなことを言っていると、また、結局行けなかったということになりかねないので、思い立ったその日のうちに出かけることにした。出がけに、傘をひらこうとしたら傘が壊れた。仕方ないので予備のビニール傘をさして出かける。電車のなかでずっとゲラの直しをやって、木場駅を出たところにあるコンビニからファックスで送った。そこから間違った方向に歩き出してしまい、五分くらい歩いてから間違いに気づき、引き返した。
メアリー・ブレアは、なんとなく良いんじゃないかという予感があったのだが、予想以上に良かった。最初の方に展示されていた初期作品は全然よくなくて、あー、失敗だっかもと思ったのだが、南米のスケッチあたりから爆発的に良くなった。画面のなかに「線」がほとんどなくなり、線に頼ることなく、色面の配置だけで画面を構築するようになってから、自らの資質に目覚めたという感じがする。線だけのスケッチは悪くないのだが、色彩と線との関係が、初期作品ではまったくかみ合ってなかった。それにしても、色彩と色彩とのぶつけ方、響かせ方には天才的なものがあり、使える色彩の幅もすごく広いことに驚く。しかも紙に水彩絵の具で描かれているので、この、絶妙な色彩や、色彩同士の関係による複雑な構造を、ほぼ一発で決めているのだと思うと、おそろしささえ感じる。
三階に展示してあった作品だけですごく充実した密度かがあり、こんなにたくさん、とても一日では見切れないよ、と思ったのだが、さらに、一階に展示してあった、イッツ・ア・スモール・ワールドのためのアート・ワークがすばらしくて舌を巻いた(ディズニーランドは行ったことないけど)。で、これで終わりなのかと思ったらそんなことはなく、さらに、商業的な仕事ではなくプライベートに息子たちや家族を描いた絵がまたすばらしく、最晩年の、ちょっと気が狂ったような感じの作品もまたとても面白かった。この人は本当に、画家として充実した一生だったんだろうなあと思い、感動し、うらやましくも思った。絵を描くというきわめてささやかでプライベートな行為と、二十世紀絵画の形式的な成果の洗練と、商業美術の要請との、奇跡的な蜜月関係を生きることの出来た人、という感じ。「こんな人があり得たんだ」という驚き。三時間くらいかけて観て、くたくたに疲れてしまった。
それにしても、一人の画家のレトロスペクティブがこんなに充実しているのは希なのではないか。それは、この画家の作品のほとんどがディズニーによって管理されているということもあるのだろう。普通、画家の作品はいろんなところに散逸してしまっていて、展覧会のために集めるのは困難だから。でもそれは、画家にとって幸福なことなのか不幸なのか。
(ポストカードがやたらと高いのはディズニーのせいなのか? 三枚買っただけで、レジで480円とか言われて驚いた。)