スイッチポイントの「希望の技法」(http://www.switch-point.com/2009/0920aoh.html)は、もう一度ゆっくり観たいと思っていたのだが、いろいろ忙しくて最終日になってしまった。最終日だったので作家が全員いて、だらだら長居をして話しをしている流れで、作品の撤収後の、打ち上げにまでお邪魔させていただいた。ここのところ毎日飲んでいる。お金がないのに。お金がないのに!、お金がないのに!!
この展覧会に出品しているのは、ぼくと同じ大学で、ぼくが四年生の時に一年生だった世代の人たちだ。今でこそ、東京造形大学出身のアーティストは「アート界」である一定の場所を占めているけど、ぼくが学生の頃は、先輩たちのなかにも先生達のなかにも、「活躍している」という感じの人はいなかった。コネがない、というと言い方はよくないけど、それはつまり、大学からその外へと繋がる通路や、卒業後、どうやって制作をつづける生活をしてゆくことが可能なのかというビジョンのようなものが、まったく見えないということだ。リアルな感触で「遠く」を見せてくれるような人が一人もいなかった。四年間という限定された時間で、大学の内部という限定された空間では、お前たちはなにをやってもいいけど、外への通路はないよ、と言われているようなものだった。そのような状況に対して強い苛立ちと焦りがあったし、そのような状況に満足しているような周囲にいる学生達に対しても、常に苛立ちを感じていた。そんな感じで、まあ、若かったこともあって、必要以上にかたくなになっていて、すべてを一人でやらなければならないという強い思い込みがあって、孤立していたと思う。自分のやっていることは誰にも通じないのだというすごい孤立感があって、だからこそ、自分のやっている仕事の正当性を証明することもまた、自分自身で行わなければいけないと思っていた。それ以外に、今後制作をつづけてゆくための根拠や支えとなるものはないのだと思っていた。そのための動力源を、周囲を否定したり、ナメたりすることで得ていたという側面もあり(誰にも通じないからこそ自分は正しい、みたいな感じさえあった)、だから当然のように、大学の内部では、当時つきあっていた彼女くらいしか友達はいなかった。
でも不思議なもので、大学を出て何年か経つと、同じ時期に同じ大学にいて、すごく近いところにいながらもほとんど接点がなかったような人と、まったく別のところで接点をもつということが起こるようになる。要するに、自分と似たようなことを感じたり考えていたりしていた人が、すごく近くにもいたのに、それがぼくにはまったく見えていなかったということなのだ(例えば、今澤正とは大学の同期で四年間同じアトリエで制作していたのに、在学中はほとんど話したこともなかった)。ひどい視野狭窄に陥っていたということなのだが、しかし、あの状況ではそうすることによってしか自分を保てなかったということもあり、ある程度は仕方がないのかとも思う。とはいえ、すごくもったいないことをしたという思いも強くある。学生時代から知っていれば、もっといろいろな刺激を受けることも出来たのに、と。あの頃の自分は間違っていたと、今では思う。
このことはまた、それぞれがそれぞれの仕事をちゃんとしてさえいれば、出会うべき人とは、遠回りをしたとしても、いつかは結局は出会うことになるのだ、ということを意味してもいると思う。
で、この自分語りで何が言いたいのかと言うと、今日、話すことの出来た四人の作家もまた、ぼくと同じような時期に、同じような感触で、あの場所(大学)にいたのだなあと感じたということなのだった。あの「空気」を吸っていた人たちなんだ、と(校舎は移転してるんだけど)。なんか、全然作品の話にはなっていないのだが…。
●打ち上げの席には、はい島さんの武蔵美の学生で新井(荒井?)さんという女性もいたのだが、彼女はフランケンサーラーが好きだという。2009年に21才の美大生がフランケンサーラーを好きだというのはどういうことなのか。オープニングの日にファイルを見せてもらった郷くんといい、武蔵美は一体どうなっているのだろうか。90年代くらいに、今の学生はもうセザンヌになんかまったく興味を持ちませんよ、みたいな話をさんざん聞かされていた頃とは時代がかわったのだろうか。それとも局地的で特異な現象なのだろうか。とにかく、郷くんや新井(荒井?)さんの作品が展示されるという武蔵美の学園祭には、絶対に行かなければと思った。