●出かける前になんとなく想定していた気温より、実際に外に出てみるとあたたかくて、身構えた体が、構えをかわされたようにふわっとして、だらっと漂うような緩んだあたたかさのひろがりが、はやく暮れてしまって、まだ夕方なのにもう暗くて、ネオンやショーウィンドウの明かりがまぶしく響く大通りを満たしている。緩んだあたたかさにつつまれた体はなんとなくだるくて、頭もどこか寝ぼけたように冴えないのだが、そういう体の輪郭のボケが、薄暗い闇と人々のざわめきのなかに体の中味が溶けるようにしみ出して広がってゆく感じにつながって、ふらふらとぶれるような歩き方になって足は進んでゆく。背の高い欅の並木の緑を見上げても、風でそよぐ気配もみせずにぴたっと静止していて、淀んだ空気は汗や化粧品の匂いをかき混ぜることなく、その匂いの主が去った後でもそのままその位置に保存していて、そういう動かない空気のなかをこちらが動いて突き抜けて歩く。久しぶりに歩いた、表参道の原宿駅-青山通り間は、イメージしていたよりも遠かった。表参道と青山通りの交差点の交番のところで待ち合わせなのだった。
●本の話の復活祝いということで、青山で磯崎さんに寿司をごちそうになった。夜の青山には子どもがたくさんいた。ハロウィンだと磯崎さんが言った。回転していない寿司屋ではじめて寿司を食べた。小さくてひっそりとした、「おしのび」で使われるような店。サシのびっしり入った大トロを、「あー、これが大トロだ」と思いながら食べた。
寿司屋を出ると、「甘い物が食べたい、あんみつが食べたい」と磯崎さんが言い、そういうものが食べられる店を探して、青山霊園の近くから、原宿駅の近くまで練り歩く。しかし、どう考えても、そういう店がなさそうな細い路地を選んで進んでいるとしか思えなかった。そして、たまに見つかる飲食店っぽい建物のほとんどが美容室だった。人はそんなにも髪を切るのか。頭はひとつしかないのに。結局、適当な店は見つからず、ジョナサンに落ち着いた。
ぼくの作品の写真を何枚か磯崎さんに見せたら、そのうち一枚を、「マティスの絵をパッと流して観た時に、頭のなかに残っているもの、みたいな絵だ」と言った。「いや、そう言われちゃうと元も子もないんだけど、でも的確な…」。