●もう何週間もDVDやビデオを観ていない気がする。リモコンがどこにあるのか分からない。映画館にも行けてない。こんなの、おそらく自分史上初のことではないか。ひたすら毎日、読んで、書いて、修正することばかりしている。本の再校ゲラのチェックはなんとか終わった。でも、この状況は十二月二十日過ぎまでつづく。眼を酷使しているので、たまにテレビをつけても音だけ聞いてる感じ。一体、なにやってんだ自分、という気もする。今、この日記を書いているパソコンから目を上げると、真っ正面に、壁に立てかけられた、まったく手の入っていない五十号のキャンバスとA1サイズの木製パネルが見えるのだが、これはここのところずっとこのままの状態だ。そして、こんなことをしているうちに、いろいろなものごとが過ぎ去ってゆく。サンプル観られなかった、ホン・サンス観られなかった。マイケルの映画ももう終わりなのか。
今、ユーロスペースカネフスキーやってるんだよなあ、と思う。しかし、いろんな意味で観に行く余裕がない。ぼくがもし本物のナニモノカだったら、対人的、社会的な約束のすべてをうっちゃってでも、カネフスキーを観に出かけるはずなのだが、どうもそこまでの器はないみたいだ。でも、今、東京の小さな映画館で毎日カネフスキーが上映されていて、それを観ている人が何人もいるのだということを想像すると、希望がわいてくる。今起こっているどんな「現実的な出来事」よりも、カネフスキーの映画が何十人かの観客の前で上映されているということの方が、この世界にとってずっと大きなことなのだ。