●そこは今住んでいる部屋のはずだったが、実際に住んでいる部屋とは微妙に違っていた。実際に住んでいる部屋と感じはだいたい同じだったが、さらに空間が付け足されていた。だから広かった。実際に住んでいる部屋の空間を手袋を裏返すように反転させた間取りが、後ろ側に付け足されていた。どうしてそちらが「後ろ側」なのかは分からないのだが、そちらは後ろ側だった。だからフロとトイレも二つあり、後ろ側にある方それは、そこにそれがあると前側のフロやトイレを使いながらいつも意識しているのだが、実際にはほとんど使われなかった。フロやトイレだけでなく、後ろ側の部屋には物がほとんど置かれていなかった。つまりほとんど使ってはいないようなのだった。一人で寝ていた。そこで寝る時は、いつも一人なのだった。一人暮らしをはじめて二十年以上経っても、一人で寝ていることそのものが恐怖であるような時がある。朝がくるまで、たとえ何が起こったとしても、私はそこに一人でいなければならない。そのような恐怖によって目が覚めることがある。夢のなかでも、そのようにして目が覚めた。後ろ側の空間の方向に、何か嫌な気配があった。無視したかったが、出来なかった。起き上がって、私は後ろ側の空間につながる引き戸をあけた。薄暗く、がらんとして、ひんやりしていた。私はその時に、まるではじめてその空間に気づいたかのように「そこ」を新鮮に感じた。まだ、こっちにも余裕があるじゃん。自分の部屋の、今まで知らなかった可能性を発見したような気がした。後ろ側のフロ場から、ちょろちょろと水が流れる音がしていた。こっちのフロはしばらく(ほんとうに長い間)使ってないはずだけど、蛇口の閉め方が甘かったのだろうか。たまにはこちらのフロを使うのも、気分がかわっていいかもしれない。というか、何故今まで、こちらのフロをほとんど使わなかったのだろうか。私は「後ろ側」のフロの存在に上機嫌になったが、嫌な気配は消えてなかった。最初の部屋よりも、さらに暗くてひんやりした、かすかに水の気配の漂うフロの方へと向かった(そこからは見えていないのだが、はっきりとイメージされた)。フロ場の手前にトイレがあり、フロ場までは二メートルくらいの廊下を進まなければならない。廊下へ出るため、部屋を横切った先の引き戸に手を掛けようとしたその時、私の手がそこに置かれるより一瞬はやく、向こう側から現れた別の手が戸を開けた。すぐに消えたが、暗いなか、その手ははっきりと見えた。私は非常に強い恐怖に襲われたのだが、先に行かないわけにはいかなかった。廊下をすすむと、フロ場の前に大きめのバケツが置かれていて、そのなかに三体の人形が逆さに水に浸されていた。それを見た私は、自分が過去に三人の子どもを殺したのだという、今まですっかり忘れていた記憶を、天啓のように明確に、間違いようのない決定的な事実として思い出してしまった。事実かどうかと関係なく、その明確な記憶そのものが、その時に刻まれてしまったかのようだった。一度思い出してしまったからは、もう二度と、その記憶から逃れることが出来ないということも、それと同時にはっきりと悟った。こんなことは決して思い出したくなかった。しかし思い出してしまった。もう取り返しがつかない。恐怖のような激しい絶望に、全身が満たされてゆく。
目が覚めるとまだ昼間で、外は明るく、つけっぱなしのテレビでは「笑っていいとも」をやっていた。眠っていたのは、十分くらいだった。