●13日のイベント(http://100hyakunen.com/?mode=f3#100313)のためにということもあって、『あっぷあっぷ』(福永信・文、村瀬恭子・絵)を読み直す。これ、ちょうおもしろい。ひさしぶりに「夢中になって本を読む」という経験をした。この作品それ自体としてすごく面白いのと同時に、ABCDシリーズの直接的なルーツでもあるような作品で、福永さんのいままでの小説のなかでもとても重要な位置を占めるものだろう。
読んでいる間、ハイデカーの言葉、《きわだった意味において隠されたままのもの、ふたたび隠蔽へと落ちこむもの、あるいは「変装して」のみおのれを示すものは、あれこれの存在者ではなく、先の諸考察が示したとおり、存在者の存在なのである》を思い出していた。
●一番最初に出て来て、その後二度と出てこない「太郎」って一体だれなのか。
●きょうだいや親子ではなく「いとこ」という関係によって増殖してゆくイメージの不確定さ。「いとこ」という本来関係をあらわす言葉が、ある時は固有名のように、またある時は「京都出身の人」のような固定した属性であるかのように使われるという混乱によって、「いとこたち」のなかかに「いとこ」という不確定な存在が姿をあらわしたり消えたりするのだが、例えば、それが「きょうだい」という関係ならば、AとBとがきょうだいでBとCとがきょうだいならば、AとCともきょうだいだと言えるけど、「いとこ」だと、AとBとがいとこでBとCともいとこだとしても、AとCとが必ずしもいとこだとはかぎらないので、あの子もいとこ、この子もいとこという風に関係が増殖していったとしても、全体の関係が「みんないとこ」となるとは限らず、あくまでも個々の「いとこたち」でありつづけるという微妙な距離感が、とても面白い。
●ルルリとロロという鏡像的な関係を、たんなる分身としてではなく、例えば「店員」といった第三の視線を媒介とすることで、鏡像的でありながらも非対称的なものとして描きだす、フルーツパーラーの場面の面白さ。
●この小説に書かれているのは、いってみれば非常に複雑で繊細なイメージの戯れなのだが、しかし問題はその戯れそのものではなく、その戯れそのもの、戯れの展開から常に逃れ去ってゆくもの、イメージによって把捉されずにその間をすり抜けてゆくものの存在であり、それが「いとこ」であり「ルルリ」であろう。「いとこたち」は、互いにいとこ同士(関係)でありながら、決して「いとこ(固有名、しかし分裂もするので固定した位置がない)」には追いつかない。ルルリはロロに変装することが出来、変装するとまるでルルリは存在しなくなってしまうかのようでありながら、ロロはけっしてルルリにはなれないという非対称性。等々。
●決してイメージに把捉されない、常に逃れて行くものの存在の予感は、記述の内容と同時に、その順番に大きく関係する。事後的に図式化してとらえると消えてしまうもののとまどいや衝撃が、全体の状況が与えられないまま、常に不意打ちのようにやってくる。その時点では意味(位置)の確定されない文や、あるいはとうとつな場面の飛躍によって、そこにあらわれる隙間に、何かが駆け抜けてゆく(例えば、「双眼鏡のなかに四人います」とはじめられる、最初の方のはらっぱの場面。あるいは、ある行為や発言がいきなり示され、それが誰によるものなのかが、遅れて、しかも消去法によってはじめて示されるとき、など)。
●この小説は、すすんでゆくにしたがって死の影が徐々に濃くなってゆく。水浴する少女のイメージはしだいに水死体にちかづき、眠りは死にちかづく(埋葬や火葬-煙のイメージなども頻出するようになる)。その過程で、何度か反復される《ねむっているフリなのか、本当にねむっているのか、見ただけではわかりっこなかった》という記述のもつニュアンスが、次第に変化してゆく。ラストにちかい、ルルリがちょうちょを掴もうとする場面など、あまりにうつくしすぎる水死のイメージではないか。
この死への傾倒は、イメージの問題だけでなく、例えば、とうとつな時間の飛躍とその先でのユビの不在や、最後の方にとうとつにあらわれる「やまなかこ」という地名などの、イレギュラーな展開のもたらすショック(断層)によって、リアリティーが裏打ちされているように思われる。
●表面にあらわれている、軽やかで機敏なイメージの反復や増殖や展開は(それは常に移ろい、変化するので比喩に落ちこむことがない)、そこにはけっして書き込まれることのない、手を伸ばしても逃れ去ってしまう、ある「とりかえしのつかない何か」によって駆動されている。だが、その軽やかな展開は、「とりかえしのつかない何か」を燃料としていると同時に、その「とりかえしのつかない何か」への必死の抵抗でもあるようなものだ。
●この本は、今でも買えるのだろうかと思ってamazonで検索したら、古本に7777円という値段がついていて驚いた(もとの定価は1400円)。