●よほど疲れていたらしく、昼過ぎに起きて昨日の分の日記を書いた後、また夕方まで寝てしまった。
●昨日のトークの後の打ち上げの時に(福永さんが帰った後)、長嶋有さんがABCDのシリーズについて、「あれは福永さんの私小説でもあると思う」と言っていたのがつよく印象に残っている。それは、トークで福永さんがしきりに子供のころに描いたマンガの話をしていたこととも繋がることではないか。いい歳をした大人が、あんなにも複雑な形式を用いて、あんなにも他愛ない話を、しかもあんなにも楽しげに書くということの不思議さ。というか、その(そうでなければならない)必然性。それは、もういい大人になってしまった以上、あんなにも他愛のない話を、あんなにも楽しげに(ウソではなくリアルな感触で)書くことは、あんなにも複雑な形式によってしか可能ではないということだと思う。福永さんのなかに住んでいるABCDたちを、ウソや欺瞞のない形で解放してやるには、あそこまでアクロバティックな形式や構造が必要なのだろう。だから、形式とか構造そのものが問題では決してないのだ。ぼくが、ABCDたちのシリーズに特につよく惹かれるのも、そのことと関係があると思う。
トークの時に展示していたぼくの三点の作品は、これから今月いっぱいくらい百年(http://100hyakunen.com/)にそのまま展示しておいてもらえることになりました。キャンバスに油絵の具で描いたものと、キャンバスにクレヨンのもの、木製パネルにクレヨンのものの三点です。三点だけですが、しばらくは、作品を発表出来るアテがまったくないので、この機会に観ていただければうれしいです。
ただ、展示するための時間が充分にとれなかったこと、トークの間だけの展示だと思っていたことから、ものすごく不安定な形で吊されてあるだけなので、あのままの状態で持ちこたえられるのかが不安です。