●不安は的中し、「作品が落下した」という連絡を受けた。13日に「百年」でやった福永さんとのトークの時に展示していた作品を、そのまま今月いっぱい展示しておいてもらえることになったのだが、トークの間だけの展示だと思っていたのでしっかり設置していなかったのだ。近くのホームセンターへ行って、しっかり設置するためのグッズを買い、夜、「百年」に行って、再度、作品を設置し直す。その際、さらに一点、展示作品を増やしてもらった。恐れ多くも、店内にもともと展示してあった和田誠安西水丸の作品を取り外して!
というわけで、今「百年」(http://100hyakunen.com/)では、ぼくの作品が4点展示されています。4月5日まで展示してもらえることになりました。店内のスペースの関係で、これ以上大きな作品は増やせないのですが、今後も、ドローイングや写真の作品が店内に増殖してゆく予定です。トークの時だけの展示だったはずものが、「百年」での小規模な「古谷利裕展」へと発展しました。
●「本の時間」に連載されている「ビリジアン」を読んでちょっと驚く。「ビリジアン」の柴崎友香はすごく解放されてる感じがする。作家として「十年以上のキャリアのある柴崎友香」という存在は、「今、小説を書いている柴崎友香」という存在にとって、勿論、自信や支えとして作用するのだろうけど、同時に、「拘束」や「重圧」としても強く作用するはずで、しかし「ビリジアン」ではそれが軽く超えられている感じがする。
「ドリーマーズ」以降のこの作家の「文章の乱暴さ(投げ捨てるように言い切る感じ)」もすごいことになっている。言い切ることで世界を確定させてゆく、というのか。《太陽は、生駒山から昇って、沈む場所は六甲山だった。》というような文は、なんでもないようでいて、これは描写ではなく断定で、「この件に関して他人の異論は一切認めない」というような強い調子で響くように感じられる。