●「百年」での展覧会、「線と色と支持体」(http://100hyakunen.com/?mode=f3)は四月五日(月)までです。御高覧お願いいたします。三日(土)と四日(日)の午後三時くらいから六時半くらいまでは会場にいる予定です。なお、最終日の五日は、午後九時頃には作品の撤収がはじまります。
「線と色と支持体」について(http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20100322)。
●DVDで、ポン・ジュノの『Sink and Rise』(「20のアイデンティティ」)、『インフルエンザ』(「三人三色」)、『Shaking Tokyo』(「TOKYO!」)と、サンプル版DVDで『母なる証明』を観た。
ポン・ジュノの映画は、一本一本がすごく面白いのだが、作家としての核のようなものがいまひとつ掴みにくくて(ポン・ジュノの「趣味」ならすごく分かる気がするのだが)、例えば『Shaking Tokyo』や『母なる証明』のような映画が、何故(どのような必然性によって)ポン・ジュノから出てくるのかよく分からない。その、よく分からないところ、その都度次に何が出てくるのか予想困難なところがまた面白い、ということもあるのだが。
しかし、今日改めて観てみて、その作家性の核のようなものが、すこしみえた気がした。そして、すごいことは確かだとしても、すばらしいと言ってよいのかやや躊躇する気持ちがあった『母なる証明』が、間違いなく傑作であることを確信した。おそらく、『母なる証明』で最も重要な人物は母でも息子でもなく、殺された女の子と最後に真犯人として捕まる男の子で、この映画で「真実-現実」はそこにしかなくて、それ以外はすべて交換可能なものと見せかけのもの(だが、こちらが通常の意味での「現実」)によって出来ているのだと思う。だからこの映画はホラー映画(幽霊の映画)として観られるべきものなのだろう。そしてそのことは、ポン・ジュノの作家性の最も重要な部分とも絡んでくる。
母なる証明』論が、なんとか書けそうな感じになってきた。
●浅い眠りで夢とうつつとを行き来しながらすごく面白い夢を見ていて、しかも、この夢は面白いからちゃんと憶えていようと意識してもいて、さらに、この夢の面白さを文にするにはどうしたらよいかとまで、夢をみつつも考えていたのに、起きてしまったらほとんど思い出せない。
かすかに残っていた文。家のなかのチェーホフの本の一部にチェーホフが書いたものではないものが混じってしまっている。昨日拾ってきて自分で手直しした手作りラジオが、今日はなくなっている。そこにある、と、人から指摘されるとちゃんと部屋にあるのに、自分ではどうしても見つけられない。