●久しぶりに晴れてあたたかい春らしい天気。こういう貴重な日はあかるい間じゅうはずっと外にいたい。しかし、今日、明日が、書くべき原稿の追い込みなので、洗濯機をまわし、洗濯が終わるまでの時間、午前中のだいたい小一時間をめどに近所の桜のあるところをまわるくらいの散歩に留める。小学校の入学式があるらしく、正装した親子づれと何組もすれ違う。富士森公園では、花見の場所取りをしている人が、午前中の光りの下、青いビニールシートの上で気持ちよさそうにすやすや眠っていた。桜はほんのわずかずつ散りはじめている。出がけに届いた柴崎友香の新作長編も、原稿が書けるまであと二、三日は読むのを我慢しなければならない。
帰って、洗濯物を干してから喫茶店へ。ある程度まとまった分量の原稿を書くのが久しぶりということもあり、書き出しに苦労するが、なんとか最初のヤマは越えた。夕方いったん部屋に戻って少し眠って、夜ふたたび喫茶店へ。閉店時間まで粘って十五枚くらいまですすむ。
書いているのはポン・ジュノの『母なる証明』についての文章。ポン・ジュノはこの映画で、本当にすごい映画作家になったと思う。好き嫌いで言えば『グエムル』の方が好きかもしれないが、『グエムル』は終盤の二、三十分はちょっと息切れしていた(それ以前は完璧にすばらしい)。『母なる証明』にはみっしりものが詰まっていて隙がない。そしてみっしり詰まった細部が互いに互いを反射し合い、激しく乱反射している。ぼくにはイーストウッドの『チェンジリング』よりも『母なる証明』の方がすごいと感じられる。何度も繰り返し言うけど、『母なる証明』で本当に重要なのは、母性の問題などでは決してない。そんなたんじゅんな映画ではない。いや、テンション上げて原稿書いてるせいでちょっと興奮し過ぎかも知れないけど(今日はアルコールがないと多分眠れない)。
ポン・ジュノのすごさを、ほんのわずかにでも反映できる文章が書きたい。
●午前中、洗濯前にまた『Shaking Tokyo』(「TOKYO!ポン・ジュノ篇)を観ていたのだが、この映画は何度観てもよく分からない。よく分からない、分かった気にさせてくれないというところが面白い。