●友人の引っ越しの手伝い。午前十時頃から午後八時前くらいまでかかって、二トントラックで四往復する。最後の方は腕に力がほとんど入らないし、握力もない、という感じになる。
引っ越しと言っても、今日、人が集められて行われたのは主に作品の移動で、つまり今のアトリエ兼住居から新しいアトリエ兼住居まで作品を移すだけで、そんなに労力がかかってしまう。友人と「画家になんかなるもんじゃないよね」という話をしていた。もし著述業の人だったら、一生分の仕事が内ポケットに入るUSBメモリーに充分保存できるだろう。手書きの生原稿という形で保存したとしても、せいぜい段ボール箱何箱分という次元で、九十年代半ばから現在までの作品だけで二トントラック四往復分ということにはならないだろう。
こういう時に、絵っていうのが強烈に「物」であること思い知らされる。他人(美術館や画廊やコレクターや財団等)が作家にかわって作品を管理してくれるなんていう画家はほんのほんの一握りで、多くの画家は自分でつくった作品の多くを自分で責任をもって管理するしかない。文字通り、そんな作品(そんな大きな、そんな重たい、そんな場所をとる作品)をつくってしまったということの責任は、その後ほぼ一生、自分で背負ってゆくことになる。でも若い時はそんなことを意識しないし、体力も余っているから、ただサイズが大きい作品をつくるというだけでなく、なにもそこまでしなくてもというくらい、構造のしっかりした(物として)分厚くて重たいパネルをつくってそれに描いたりしてしまって、保管する場所もとるし、移動するために持ち上げようとすると「えーっ」と言うくらい重たかったりする。「若い時の自分に、そんなパネルをつくるな」と言ってやりたいと、友人は何度もこぼしていた。
おおかたの作品を積み終え、あと数枚を残すというところになって、学生時代に描いたという大作が出てきた。あまり見覚えがないものだったので「これ、何の展覧会に出したの」と聞いたら、「いや、これは未発表」と言っていた。内容、サイズ、支持体としてのパネルのつくり等、あらゆる意味で力作というか、気合いのこもった作品で、学生の時は、発表するあてもないし、勿論売れるあてなどまったくないという状態で(つまり、他人や世の中の評価や自分の出世などとは無関係に)、さらに、それをその後どうするのか(保存がいかに大変か)も考えずに、平気でこんな「力作」をつくってしまって、「ほんと、あの頃の自分はバカだった」とか言っていたけど、でも、そういうことこそが、(四十過ぎてもまだ絵を描いているという)今の自分を支えてるんじゃないの、と思った。実際、大学のアトリエは大きいし、学生は制作の面でいろいろ恵まれてもいるから、多くの人が「大作」をつくるのだけど、でも卒業後にそれをどうしたらよいかわからなくて(というか、どうしようもなくて)、廃棄してしまったりする人も多いのだが、いろいろ面倒だし場所もお金も食うにもかかわらず、それをちゃんとまだ持っているということは、そこに何かがこめられているのだろうし、その何かを今でも重要だと思っているということなのだと思うのだった。物理的にその作品が存在するということも勿論重要だけど、そういう作品をつくったという経験だけが、人を(作家を)支えるんじゃないかと思う。
●あと、それとは別の話だけど、「たまに、こんな作品つくったっけ、みたいな作品が出てくることあるよね」という話をしていた。それをつくった記憶がないというだけでなく、それが自分の作品だとは思えないよそよそしい感じの作品が、保管してある作品のなかにぽつんとあったりする。「えーっ、これほんとにオレの作品 ? 」みたいな不思議な感触。これはこれでまた面白い。