●ここ二ヶ月くらいかけてずっとやってきた用事に終わりが見えた。完全に終わったわけではないが、あとはたんじゅんな作業で、特に頭を使うこともない。
午前中に用事が一区切りついたので、午後からはずっと原稿。九百字の文章で、何がどれくらい書けるのか、どう書けばいいのか分からず、四苦八苦する。
●重力についてもうちょっと。少なくとも、海から地上へ出て以降のあらゆる生物にとって重力は常に重要だけど、不安定な二足歩行をするようになったヒトにとって、軸と重心による重力との関係はより複雑なものになっただろう。だが、地上で生活する以上四足歩行こそが合理的で、二足歩行へと移行する必要などないはずだ。体を横から縦にしたのは地面ではなく木の上での生活だろう。猿が木の上で生活するようになったからこそ、狭い枝の上にいるために体の向きが縦になり、枝を掴む腕と踏ん張る脚との分化が起こり、枝にぶら下がることで上下の感覚が生まれたのではないか。二足歩行は森の生活によって準備されたのだろう。考えてみれば、安定したひろがりである地上で生活するヒトよりも、足場の安定しない中空である木の上で生活する猿の方が、重力との関係はより密接で複雑なはずだ。
ぼくは子供の頃、うんてい、登り棒、ジャングルジム、鉄棒、が異様に好きだった。それらはすべて重力と戯れるための遊具だと言える(友達と遊ぶよりも重力と遊んでいた? )。というか、それらに限らず、ブランコとか滑り台とかシーソーとかも、つまり子供用の遊具のほとんどは重力(地球)と戯れるものなのではないだろうか。まだ体の軸や重心が安定していない小さな子供にとっては、ただ走るだけでも、ジャングルジムで逆さになったり、ブランコで水平になるまで漕ぎ上げたりするのと同じくらいの平衡感覚のブレがあるんじゃないだろうか。だからそれだけで十分に楽しいのだろう。
セザンヌの「ギュスターブ・ジェフロア」は、ただ観るだけで、そのような感覚が起動し、駆動されるような絵だと思う。しかし、この絵は遊具で遊ぶような楽しげなものではなく、ギリギリと緊張し、ギシギシと軋んでいる。その原因にひとつには、セザンヌがこのギュスターヴ・ジェフロアという人を(というか、そもそも人を)あまり好きではなかったということもあるように思う。あるいは、この人の居る部屋の空間も。