●相原にある東京造形大学に「camaboco」を観に行った(http://www.zokei.ac.jp/painting/camaboco/)。新しいアトリエ(絵画棟)が出来て解体されることになった(既に使われていない)旧アトリエで、作家として活動している卒業生の作品と現役の学生の作品とを一緒に展示するという展覧会。タイトルは、旧アトリエの形状がカマボコみたいだからということなのだろう。学生が運営していて、これだけの展覧会をちゃんと成立させてしまうのはすごいことだとは思う。いろいろとちゃんとしてて立派だなあ、と。だからあまり文句をつけるようなことは言いたくないけど、でも、ぼくは「作品」にしか興味がないので、そうなると、そんなに面白い作品はなかったなあ、という感想になる。
いや、なんと言っていいか、とてもむつかしい。イベントとして、企画として面白いからといって、そこに面白い作品が集まるとは限らない。良い作家が、毎回必ず良い作品をつくるとは限らないということもあるし、作品というのは常に不確定な予想出来ないものだから。
イベントとして考えれば決してつまらなくはない。いろんな作品がダーッとあって、決して飽きることはないし、へーっ、みたいな感じで観て歩くには充分に面白い。ただ、作品として、それを突っ込んで観ようと思えるようなものは、あまりなかった。しかしそれは、作品のせいばかりではなく、観ているぼくのせいもあるかもしれない。いろんなタイプの、質的にもバラツキのある作品が、大量に並んでいると、観る方としてもどうしても散漫になってしまって、雑な見方になってしまっていたかもしれない(「これは一体何なのか」という疑問をもったまま作品の前に長く佇む、ということが難しく、よって、目が届きにくいところにまで粘って目をやることがなかなか出来ず、自分としてすんなりと受け入れやすい作品の方にどうしても目が行ってしまいがち)。もっと丁寧に観れば、面白い作品がもっと見つけられたかもしれない。地味だけどとてもセンスが良い、みたいな感じの作品はスルーしてしまいがちだし、作品としてはいまひとつ成功していなくても、どこか気になる感触がある、というようなものまでは、おそらく全然拾えていない。
そんななかで気になったのは、松本三和のアトリエを描いた小さな銅版画、小品展にあった門田光雅の作品、あと、「camaboco」とは別会場(in+)に展示してあった山田梨恵と八重樫ゆいの作品。それから、それが作品としての面白さなのかどうかはちょっと分からないけど、圧倒的に好きで、楽しかったのは森健太郎の、今にも壊れるんじゃないかという不安定な木組みを伝って屋根の上に登ってゆく作品。単純に、木登りが楽しいというような意味で、楽しい(あと、面白いかどうかはよく分からないのだが、赤石隆明の作品の有り様---ブロックで内側に隠す感じ---がちょっと気になった)。
しかし、最も刺激になったのは、展覧会の作品ではなく、会場でたまたま会った(講師をしている、出品作家でもある)堀由樹子さんに案内されて訪れた学生たちのアトリエで、やはり、学生が実際に作品をつくっている、作品が出来つつある、その場所−現場を見ることは、たんじゅんにとても興奮する。それに、いくつか、面白そうな作品が出来つつありそうな感じのところも見られた。自分以外の人が、作品をつくりつつある、その場の感じというのは、大学を出てしまうと、なかなか接することが出来ないのだ。「面白そうな作品が出来つつありそうな」場所というものには、刺激される特別な何かがある。