武蔵美の芸祭に郷正助の作品を観に行った。
展示室に入った瞬間、ガラクタの山が目に入り、「あっ、もしかして、これかも」と思って自然に半笑いになり、近づいて、「きっと、これに違いない」と確信すると、「へーっ」という感じで、にやにや顔になっていたと思う。
「おーっ、やったなあ」というのか、「あーっ、やっちゃったなあ」というのか、同時にそのどちらでもある。作品として成功しているとはまったく思わないけど、嫌な感じやがっかりする感じはまったくなくて、逆にすごく解放されるというか、楽しくなる感じ。むしろ、この「やっちゃった」感によって、この作家の才能の懐の深さを改めて感じさせられた。「やっちゃった」ことのなかに、楽しさと同時に、志の高さまでもを感じる。この作家なら、思いっきりガンガン行っちゃってもきっと道を踏み外すことはないだろうし、方向がズレてしまった時はそれをきっと誰よりも真っ先に作家自身が感知して軌道修正出来るんだろうという感じがする。
前に観たコンクール展の時の展示(絵画+インスタレーション)は、とても完成度が高くて洗練されていたのだけど、それはあくまで絵画作品の質の高さによって支えられていたもので、それがインスタレーションだけになった時に、たんにきれいな空間をセンスよく作るだけになっていたらつまらないなあと危惧していたのだが、全然そんなことにはなってなかった。「こっち」にこれだけ振れることが出来るという振れ幅の広さがあるのと、これだけやっちゃっているのに、その底には完成度の高い絵画と共通する感覚がちゃんと保たているのが良いと思う。繰りかえすが、作品として上手くいっているとは決して思わないけど(改善の余地、もっともっと考え詰めるべき余地はすごく沢山あると思う)、それなのに、これだけ面白く、見るところが沢山あって退屈しない、というのが驚くべきことだと思う。
「ギャング・エイジ」(http://one.freespace.jp/scpscp/index.html
)は、屋外の展示らしいので、きっと、もっとスケールの大きな作品になるのだろうし、もっと「やっちゃってる」作品を期待して、楽しみに待ちたい。
●それにしても、展示室の入り口に、入場に(そして、他の作品を観るのにも)邪魔になるような、ゴミの山みたいな作品を置かれたら、同じ部屋で展示している他の人はきっと嫌だと思うのだが、それを許している友人たちは心が広いなあと思った。