●誰でもやることだと思うけど、制作途中の作品に対して慣れてしまった目をリセットしつつ、新鮮に画面の状態をチェックしたい時、キャンバスを逆さにしてみる。この時の不思議な感覚はちょうど、エレベーターがふっと沈む時に胸のあたりがふわっとする、あの感覚に近い。この時、絵画と重力の密接な関係を改めて感じる。一時ぼくは、画面を逆さにしたり鏡を使ったりして画面をチェックすることを禁欲していたのだが(絵画はあくまで重力と共にあるものだし、制作中はなるべく画面を「引いて」見ないように、つまり視覚的に把握しないようにしている、という意味もある)、最近では、画面の状態のチェックというよりも、このふわっとした感覚を楽しむために、気まぐれに、ある瞬間をみはからって逆さにしてみる。これは何度もやると効果がなくなってしまうから、画面がしかるべき状態になるまで我慢していて、この辺りだな、と思った時にやってみる。まれに、その「ふわっ」とした感覚が持続して、逆さのままで制作が進行し、元には戻ってこないことも、最近ではある。
画面が上下逆さになるということは、左右も反対になるということだ。ある意味、左右の逆転は上下の逆転以上に衝撃的だ。それは、その画面がたんなる画像ではなく「自分の手(身体の動き)」によって描かれたものだからということもある。身体は一応左右対称形だが、身体が世界に働きかける時、どちらから切り込んでゆくのかという傾向は対称ではない。左利きだからといって左から入るとも限らない。体の動きの癖、利き目、利き腕、利き足の関係でそこによじれが加わりもする。脳の働きだって対称ではないだろう。世界の左半分と右半分は実は対称形ではない。さらにそこに各個体で異なるねじれが加わる。画面を逆さにしてみることで、そのようことも意識される。
以前、画面を逆さにすることを強く禁欲していたのは、絵画はあくまで重力のなかにある(重力と反重力のせめぎ合いのなかにある)ものだし、世界の左と右とは対称ではないという思いが強くあったからだが、今では、だからこそ逆さにしてみるのが面白いのだ、と思うようになった。つまり、以前よりもさらに強く、重力と左右の違いを意識しているということだと思う。