●描くことと書くことと読むこととを同時やっているというのはいつものことだけど、今、そのそれぞれで、定まった対象、定まった分量、定まった期限を「約束」として持つ形でそれをしている。つまり(個展のための制作を含めて)締切のある三つの別のことを同時にしていて、頭に余裕がない。
「書くこと」でしているのは、原稿用紙一枚弱くらいの映画の短いレビューを四十本分書くということで、これは、久しく見てなかった映画を改めて見直すきっかけにもなってとても楽しいのだが、それも締切が迫っていて大変になってきた。四十本中三十四本まで出来ていてあと一息なのだが。
その関係で昨日の夜から朝にかけて、『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』(山中貞雄) 、『恋人たちは濡れた』(神代辰巳) 『ニンゲン合格』(黒沢清)の三本をつづけて観て、そのどれもが素晴らしいので困ってしまった。ぼくは、すごいと思う作品を一つ観たら、つづけてすぐには別の作品を観ることが出来ないのだが(強い作品を受け取るということは体に少なくないダメージを受けるということである)、締切もあるので仕方なしに、すげーすげーと思いながらつづけて観て、湯あたりみたいにクラクラになってしまった。また、すごい作品を観てすぐは、それを簡単に言葉に出来ないし、また、したくないという気持ちが働いてしまうので、それも困った。
●演劇とかダンスとかを観に行くと必ずアンケート用紙があって、もし自分が作品をつくっている側だったらと考えると、こういうのは何か書いた方がいいのだろうと思うのだが、ぼくは、今観たものの感想を、その場ですぐ言葉にすることが出来ない。そして、したくない。少なくとも、自分の部屋に戻るまでの(ぼーっと電車に乗っている)時間くらいは、その感触を(頭のなかででさえも)言葉にしないまま保持しておきたい。言葉にしないままでその感触を持ちこたえる時間は、実際に目の前で起こっていることを観ている時間と同じか、もしかするとそれ以上に重要な作品の経験の時間であるように思う。
言葉はやはりとても強いものだから(そして粗い網目でもあるから)、いったんでも、安易に生煮えの言葉が出てきてしまうと、それによって遡行的に言葉に見合った形に経験が鋳直されてしまう。勿論それは逆もあって、面白い言葉が出てきたり、それに出会ったりすれば、より面白い形で経験が構成されるだろう。後から読み直したり、参照し直したりすることが難しいパフォーミングアーツの場合、このことは得に強く言えてしまうから、言葉の取り扱いはより一層難しいように思う。
●『ニンゲン合格』は、十年間こん睡状態にあった男がとつぜん目覚めるという話なのだが、その映画がつくられてから、既に十年以上経ってしまっているのだなあと、観ながら強く思った。つまり、「この十年」ということを思った。