●『憐 Ren』(堀禎一)をDVDで観た。すごかった。観始めてしばらくして、「なんかすごいことが起こってるぞ」と感じて鳥肌が立ち、それから終わりまでずっと「一体何が起こっているんだ、これは…」と、鳥肌立ちっぱなしだった。物語は、典型的にラノベ的なもので、誰でもが『時をかける少女』とか『エンドレスエイト』とかを想起するだろう。でも、そういうお話であるということは、始まってかなり時間が経ってから分かるのであって、しばらくはひたすら「???」で、この映画がどこに向かって走っているのかわからなくて、ドキドキする。こういう映画を、ちょっと他では観たことがない。いや、まったく見たことがないものを見せられるというより、一つ一つの要素は決して珍しくはないとしても、それがこのような形に組立られることによって、すごく変なものが出来てしまった、という感じ。見慣れたはずの風景の、とつぜん、全然ちがった姿になってしまった、というか。
ある程度お話の方向が見えてきて、「要するにセカイ系なのか」と納得した後も少しも安心は出来ない。例えば、クラスメイトたちがしているバスケットホールの場面で起こっていることは何なのか、女の子がいきなり唐突な行為に出るこの感じは何なのか、セリフに全くリアリティがないことのすごいリアルさは何なのか。場面の連鎖や展開に感情や調子を保つ連続性がなく、その不連続の隙間から、技術としてほぼ完成してしまったJホラーでは捉えられない、世界のゆがみや亀裂が滲み出してくるようにも感じられる。全体的に演技も演出も抑え気味なのだが、根本がどこか少しずつゆがんでいるので、抑えれば抑える程不気味に(ゆがみが大きく)なってくる。空間と時間の自明性みたいなものが、どんどん崩されてゆく。ある意味では、オーソドックスにシネフィル的な流れを受け継いでいる(非常に繊細な)演出とも言えそうだったりするのだが(あからさまに相米へのオマージュみたいな場面さえある)、しかし、それが受け継がれる過程で(途中で宇宙人に乗っ取られて?)根っこがまったく別物に変質してしまったかのようでもある。ラストに近い長回し長台詞の場面など、セリフの内容は、どうでもいいような超ご都合主義的なラノベ的設定の退屈な説明(まさに「ハルヒ」の出来損ないみたいな)でしかないのに、画面や演技が異様に充実しているので、自分が観ているものが何なのか分からなくなって、異次元に連れていかれるようだ。とはいえ、物語がラノベ-セカイ系的なものであることを映画は決して無視しても裏切ってもいない。ラノベ-セカイ系的な感覚に、映画表現として最も高い質を与えた作品とさえ言えるかもしれない。
堀禎一の映画は、今までに『わ・れ・め』と『妄想少女オタク系』しか観たことがない。『妄想少女オタク系』はとても好きな映画なのだが、『憐 Ren』を観てしまった後では、ちょっときれいごとで終始しているというか、危険なことは避けているという気もしてしまう。しかし、危険なことを避けているにもかかわらず、そんなことに頼らずに、あれだけ魅力的な映画にしてしまうところがすごいとも言える。でも『憐 Ren』では、はじめから根本的な地軸がズレているように感じられる(とはいえ、『憐』に出てくる主役級の男の子二人が『妄想少女…』の二人とまったく同じで、頭のなかで二つの映画が混じり合ったりもするし、この二つは密接に関係があるのだろう)。
一回観ただけでは、この映画で起きていることが何なのかよくつかめたとは言えない。しかし、何かよく分からないけど、すごいことが起きていることは確かだと思う。どこにでもいるようなありふれた人物たちが、ありふれたままでみんな宇宙人みたいに思えてくる。