●一日、ビデオやDVDを観ていた。十何年ぶりかで観たヒッチコック間諜最後の日』がすばらしかった。
女と男は間違ってスパイではない人物を殺してしまう。罪を悔いた二人は任務を放棄する。しかし男は、真のスパイを見つけると追って行ってしまう。女は失意のなか男から離れようとする。だが、その真のスパイが二人を再び出会わせる。女は、再び罪を犯すくらいなら死んだ方がましだと言い、正しい行動をして死を選びましょうと言ってスパイ殺害をやめさせようとするが、男は、ここでスパイを殺さなければ何千人もの人が犠牲になると言う。それに対し女は、「そんなことは関係ない、これは私たちの問題(私たちの正義、私たちの関係、私たちの生の問題)だ」と言い切る。結果として、二人の手を汚さずにスパイは死に、二人は生き残って結ばれるが、これはエンターテイメントであることによって要請されるご都合主義であり、終幕のための口実にすぎない。この映画の終盤の女の行動は場当たり的で、支離滅裂にすら見える(何を考えているか分からない)が、実は、状況に左右されることなく、もっとも首尾一貫した行動をとっていたのは女であった。つまり、正義に束縛されることによって、状況から自由であった。
(いや、もう一方に、殺人を享楽と利益のために割り切って行う、善悪の彼岸に位置する将軍と呼ばれる人物もいて、こちらはこちらで首尾一貫しているから、男だけが、状況に流され、不自由に、中途半端に揺れ動いているということか。)