●メガネを買った。今、使っているメガネは多分、もう十五年くらい前に買ったもので、柄が片方折れていて、折れてない方も歪んでいて、鼻にぎりぎり乗っかっていても少し動くとずり落ちてしまう。もう、ここ五、六年くらい(もしかするともっと)そんな状態で、だから、メガネをかけるのは制作の時だけで、それも、描いている時はかけないで、画面を確認する時にかけたり外したりして確認する。普段はメガネがなくてもなんとか大丈夫だし、日記や原稿を書く時はフォントのサイズを大きくすれば問題ない。お金の余裕もないし、ずっとそんな感じのままだった。でも最近さすがに、絵とか映画とか演劇とかを観に行く時に、メガネの必要性を感じるようになってきたので、新しく買うことにしたのだった。
だから少なくともここ五、六年くらいは、「外」ではメガネをかけたことがない。
検眼して、メガネが出来上がって、確認のためにかけてみると、まずまわりの明るさが増し、遠くのものの質感が迫ってくるように見えた。でもその時は、ああ、さすがに良く見えるなあ、という、そのくらいの感じだった。
電車に乗った時、一番前の車両で運転席越しに前が見えたので、あっ、メガネがある、と思い、どのくらいよく見えるのかとカバンから取り出してかけてみた。まっすぐ進む線路のずっと先まで、びっくりする程遠くまでくっきり見えた。「こんなに見えるのか」と「こんなに見えてなかったのか」とを同時に思った。ぼくは乱視が入っているのでメガネで矯正しても飛躍的に視力が上がるということはなく、両目合わせても0.8くらいまでだとメガネ屋のお兄ちゃんに言われた。高校生くらいまでは、裸眼で、右、左とも1.0くらいはあったはずだから、メガネをかけても高校の時の裸眼より見えていないことになる。それでも、自分史上初くらいの感じで、なんか鬱陶しいくらいに細部がよく見えるように感じられる。子供みたいに窓に貼りついて外を見ていた(ぼんやりとした高校生だった自分に、こんなに、これ以上にくっきり物が見えていたことは信じがたい、と感じるのだが)。
しかし、よく見えると凝視してしまうので疲れる。しばらくして、席が空いたので座った。向いに座っている人もくっきりとよく見える。電車は進み、次の駅のホームへ入った。電車が止まり、窓の外に、ホームに並んでいる人たちが見える。ホームにいる人の、服の質感、肌、髪のほつれなどまでが、ガラス窓越しにもくっきりと目に入ってくる。そのクリアーさで、窓の外にいる人たちと、車両の内側にいる向いの席の人との距離の違いがわからなくなり、むしろ外にいる人の方が明るいのでよりクリアーで、より近いようにさえ感じられてしまって(内と外が逆転してしまったみたいで)、ちょっとクラッときた。いままで、軽くぼやっとした視覚によって距離を測っていたので、よく見えることで(必要以上に見てしまうことで)切れ切れの細かい視覚的切片が無秩序に並んでるかのように、空間の連続性が切断されるように感じられてしまう。すごく面白いのだけど、疲れる。