●制作のための覚書。重要なのは運動(というより、運動が、運動それ自体を成立させている基底である時空の構築を揺るがし、動かすところまで届くこと)であり、そして、その運動が通り過ぎてゆく数々のテクスチャーの精度である。構造は事後的に形成される。動きをつくること。十分に動けていれば、物語や比喩の把捉から逃れ、「区切り」そのものを発生させることができるはず。セザンヌが繰り返し「仕上げ」の拒否について語っていることを思い出すこと。
●以下、以前も引用したことがあるが、自らの制作への戒めとして、再度、ここに書きつけておく。『ラカン精神分析入門』(ブルース・フィンク)より。
《「区切り」は患者がセッションを空虚な話で一杯にしてしまうのを阻止するための道具である。患者が一番重要なことを言ったら、セッションを続ける必要はない。実際、分析家がそこで「区切り」をつけないと、つまりそのセッションを終わりにしないと、患者は精神分析の「時間」の終わりまで話を詰め込み、それ以前に自分が言った重要なことを忘れてしまうことになる。分析主体のとくに重要な言葉にもとづいてセッションを切るのは、本質的なものに注意を向け続けるための方法なのである。》
《時間が固定したセッションが基準である場合、分析主体は話す時間が決まっていることに慣れてしまい、その時間をどう埋めようか、それをどう使うのが一番よいかを考えるようになる。たとえば分析主体は、自分が昨晩見た分析家についての夢が分析にとって最も重要であることに非常によく気づいている。しかし、彼らは夢の話にたどり着く前に(もしたどり着いたとしての話だが)、自分が話しておきたいと思うその他たくさんのことで時間の帳尻を合わせようとする。分析主体がセッションで割り当てられた時間を使う際の仕方は、彼らのより大がかりな神経症的戦略(回避や、他者の無効化などを含む)にとって重要な部分である。前もってセッションの長さを定めておくことは、単に彼らの神経症を助長するに過ぎない。》
《唐突にセッションを切り上げることによって、分析家は直前に分析主体があらわにした驚きを強調する。つまり区切りによって驚きという要素を導入し、分析主体に、自分には聞こえてこなかった何を分析家は聞いたのだろうと思わせ、またどんな無意識の思考がそこに現れたのかと分析主体を不思議がらせるのである。こうした驚きの要素は、分析をお定まりの日課のようなものにしてしまわないために重要である。》