●誰だったか忘れたけど、私は自分が知らないことについてしか書けない、と言った作家がいたということを、誰かから聞いた。「誰か」ばっかりだけど、これって別に誰がそう言ってもおかしくない、特に偉大な人でなくても作品をつくる人ならきっとみんなが知っていることで、自分が既に知っていることに頼ってしまった瞬間、あるいは、自分が既にできると分かっていることをやってしまった瞬間、作品は死んでしまう。死んでしまうという言い方が大げさすぎるとしたら、作品が緩んでしまう、弛んでしまう、スカスカになってしまう。
これはすごくリアルで(つまり、いつもいつも必ずこの言葉に忠実でいられるわけではないということもまた身に染みて知っているということ)、かつ、当たり前のこと(この言葉に忠実でいられるかいられないかは制作のなかで日常的に常に問われているということ)なのだが、しかし、その実感を知らないで言葉だけを聞くと、たんに「上手いことを言う」とか、「逆説を弄している」とかいうような言葉に聞こえてしまう。あるいは、とても大層なことを言っているように聞こえてしまう。否定神学的なミスティフィケーションみたいな。じっさい、この手の「上手いこと(もっともらしい逆説)」を言うことで、人を騙したり、人からの転移を誘ったりする人はいくらでもいる。人を「説得する」言葉というのは、たいていこのような「上手いこと」であろう。でもそうじゃなくて、こんなことはちゃんとした人なら誰でも知っているごく普通の感覚なのだ、という、この「感じ」を伝えるのがとても難しい。