●『わ・れ・め』(堀禎一)。冒頭から自転車。アパートの部屋を捉える長回し、空間の分割、フレームの多層化。その後に息子への/からのメッセージ。障子一枚隔てただけのこの息子の部屋は、この後まるで存在しないかのように無視される。夜、夫婦が、大声でケンカしたり性交したりするこの部屋に、息子自身もまた存在していないかのようだ。はじめからやたらと足音が耳につくが、これが後のプロレス場面でのマットに叩きつけられる音へと発展する。主人公の、耳が遠い人の喋りみたいな不自然な声の大きさが、世界への届かなさ、遠さを感じせせる。それは、特徴的なクローズアップ(『魔法少女を忘れない』でもクローズアップがすごく印象的だった)と、それにつづくやや引いた構図との断絶感や、プロレス会場での、リング上と観客席との繋がらなさとも響きあう。あるいは、プロレスとボクシングの繋がらなさ。プロレスを観る妻と、AVの撮影現場を観る夫の繋がらなさ(プロレスラーは主人公の夫ではなく、その夫は、AV女優に好意をもち関係も持つが、その感情を軽くいなされた上、AV女優とその恋人を殺さざるを得なくなる)。頭の同じ場所を二度負傷する息子のみが、一度目の傷と二度目の傷と一致させ、正確に繋げる。あるいは、頭を負傷した息子と自転車で二人乗りする主人公との間にのみ、断絶が解消されているかのようだ。プロレス場面の後、アパート室内では足音以上に外からの音が響くようになる。夫が風呂桶のなかで食べるカレーが、まるでキレンジャーが食べるカレーみたいだ。
おそらく、DVDソフトをR18指定にしないためだと思うけど、性交シーンになると、画面のほとんどを覆ってしまってそこで何が起こっているのかまったくわからなくなるくらいの大きなボカシが入る。もともとピンク映画だから全体の三分の一くらいは性交シーンで、だから映画の三分の一近くはずっとぼやけていて、そういう状態で集中したテンションで映画を観続けるのはかなり難しい(もしかしたらレンタル用のソフトだけそうなっているのかもしれないけど)。もっと丁寧に観たい感じの映画なのに、どうしても集中が途切れて早送りしたくなってしまう。映画のつくりだす持続やリズムにうまく乗れない。
●『STAR DRIVER 輝きのタクト』、十話から十二話。ますます榎戸節全開。