オリヴェイラの『夜顔』をDVDで。豪華な黒。とにかく、いかに黒を美しく発色させるかということに賭けられた映画と言えるんじゃないだろうか。はじめからあからさまに黒(オーケストラと天井の間の黒)で、最後まで一貫して黒。徹底して黒。この艶っぽい黒のせいで画面がやたらとゴージャスに見える。黒のなかに光が浮かびあがり、互いに反射し合い、反映し合う。そしてまた、光は黒に吸収される。
老人がバーに入り、カウンターでウイスキーのダブルをストレートで飲む。バーテンダーと話す。その話が、彼らとは関係ない、ボックス席の娼婦たちにも完全ではない形で、なんとなく漏れ聞こえる。そのようなバーの狭さ(この「狭い」感じがすばらしい)。そのようなバーの空間。そういう場所に何人かの人間がいて、酒を飲み、何かを話している。娼婦たちは老人を見て、品定めする。老人に声をかけ、飲み物をごちそうされる。彼ら彼女らの間に、そのような関係があり、そのような関係しかない。そういう場所がある。ただそれだけのことが、豪華な黒のなかに浮かびあがる。ああ、映画ってこういうことが出来るのか、と思う。
日本の都市部にいたら、このような闇はありえないというようなうつくしい夜の闇の場面がつづいた後、昼間の石造りの街並みが俯瞰され、画面が白に近いグレーにおおわれる。映画って、こういうことだなあと思う。
バーとは様子の異なる、やたらと豪華なレストランの個室で、老人は、昔因縁のあった女と酒を飲み、食事をする。テーブルの背後には大きな窓。ウェイターが給仕をする。無言で食べる二人と段取り通に給仕するウェイターが示されつづける。ここにも豪華な黒がある。はじめは堅かった女の表情が次第にやわらかくなるように見える。ウェイターが去り、部屋の明かりは落とされ、女は話しはじめる。
老人が部屋で女を待ち、女があらわれ、食事をし、話しをする。二人は過去に因縁があり、秘密があり、しかし互いにもうそれなりの年齢になっている。そういう二人が、食事をし、話しをする。ただそれだけのこと。この映画はブニュエルの『昼顔』の後日談ということであり、『昼顔』を知っていることで味わいは深まるかもしれない。でも、それはあまり重要なことではないのではないかと思った。これはもうこれだけで完全に十分な何かなのだと思う。
老人は女にプレゼントを示し、女は拒否する。しばらく話がつづき、女がとつぜん激高して出てゆく。その後になぜかニワトリが一羽あらわれる。ウェイターたちが戻ってきて、後片付けをする。そして映画は終わる。
豪華な黒に満たされた空間があり、そこに人がいる。人には過去があり、因縁があり、秘密がある。でもその中味はそれほどは重要でない。そういう人が、酒をのみ、食事をし、話しをする。そして、それ以上のことはない。映画はその姿をシンプルに示し、あっさりと終わる。
言おうと思えば色んなことが言えると思うけど、ただ、映画がものごとをシンプルに示す力のすごさに圧倒されれば、それで十分なのではないかと思う。
これはオリヴェイラの映画のなかでも、一、二を争うくらい好きかもしれない。特にバーの場面とか。この映画には、いつものオリヴェイラにある、テキストと映像との相克みたいな感じがあまりなくて、わりとテキスト(言葉)の比重が軽くなってる感じがする。