●『輪るピングドラム』六話。双子の兄弟、冠葉の描く線と晶馬の描く線とがますます分離する。苹果の日記の秘密が明かされる。
●水没する女、苹果の寝室にあるぬいぐるみは水棲動物(カッパとラッコ)だった(カッパの名前が「カータン」だ、ピンポンパン!)。
寝室の写真は苹果ではなく姉(ももか)だった。「1」のなかに埋め込まれた「2」。亡き姉の書いた日記(計画)を実行しようとする苹果。ここで運命とは過去の再現であり、それは姉と妹とが一体となることで果たされる。ここで過去とは姉の死以前のことであり、苹果が姉と完全に重なることで、姉の死(という別の過去)を否定し、過去が再現され得る。苹果にとって目指される未来は姉の死以前の過去であり、つまり時間は過去に向かって進んでいる。「永遠」とは、たどり着いた過去が繰り返し回帰することだろう。
高倉家の双子の弟、晶馬は、(姉のいない)妹であった苹果と行動をともにする。
●高倉家でもまた妹(陽毬)の死が否定(否認)されるが、それは謎の宇宙生命体の超越的な力(ペンギン帽)によってあっさりとかなえられる。しかしここでは、妹の死はたんに保留されているだけであり、その否定を確定させるために宇宙生命体の命令(ミッション)に従わねばならない。
●死の否認のためのふたつのミッション。過去による拘束(命令)と超越的な力による拘束(命令)。高倉家の双子と苹果は、同様の目的のための、異なる道をすすんでいる。分離させられた「1」であるような双子と、「1」のなかに「2」を孕んでいるような苹果の反転的なペア。だが、苹果が死を否認する戦略-筋道は提示されたが、高倉家の双子の(ペンギン帽に強いられる)戦略-道筋は未だ明らかにされていない。
●双子の兄、冠葉は、ペンギン帽の指令(苹果から「ピングドラム」を奪え)とは別の道筋を探る。あるいは、別の道筋に巻き込まれる。冠葉は過去の恋人たちから「恋愛被害者の会」を結成され糾弾される。しかし、彼女たちの目的は冠葉への糾弾なのか、あるいは復縁(過去の回復)なのか。どちらにしろ彼女たちにも過去への拘束がみられる。死の否認や家族の回復というほどに強い動機を含んだものではないにしろ。だが彼女たちの過去への拘束は、実はそれ自体として顕在化するほどに強いものではなく、謎の人物(夏芽)によって焚き付けられ、無理矢理に燃え上がらせられたものであるようだ。
謎の人物は、彼女たちを焚き付けた上で、その記憶を消去する(夏芽は左利きだった)。それはつまり、過去を召喚させた上でそれを消去するというその行為それ自体を、冠葉に対して提示するためだとしか考えられない。それは何のためなのか。冠葉が忘れたか、それほど重要とも思っていない過去-記憶の存在を、彼に知らしめるためなのか。あるいは逆に、「記憶の消失(があり得る)」という事実を彼に突き付けるためなのか。「お前は何かを忘れているぞ」と、あるいは「お前の大事なものを忘れさせることも出来るぞ」と。
●かつて多蕗と苹果の姉とは特別な関係であった(現在との連続性をもたない過去)。その多蕗と特別な関係となることで姉の代理という位置を完成し、自ら姉と同一化することで、姉を失った多蕗に対しても、両親に対しても、ともに「過去」を回帰させることが苹果の目的である。ならば、それが完成することによって苹果の存在は消えるということになる。純粋な媒介的(天使)存在としての苹果。しかしだとすれば、非常に生臭いものでもある苹果の欲望は、一対誰のもので、どこから湧いてくる欲望ということになるのか。媒介の物質性?天使こそが最も物質的であり、ノイジーで猥雑である。
●前々回の「初キス」の時は、苹果の行動は具体的であり、多蕗へのアプローチも直接的なものであった。しかし今回の「初夜」での苹果の行動や欲望は抽象的で具体性を欠き、多蕗へのアプローチも間接的なものに留まる。苹果は多蕗の部屋の床下で、彼の行動を盗聴しつつ、存在を感じ、行動をなぞっているにすぎない。ここで、「日記」に書かれたミッションは「想像(妄想)」のなかで果たされるにすぎない。過去への回帰は妄想の次元へと後退したのか。
というかそもそも、日記を書いたのは小学生の時点での姉であり、「初夜」の具体性の欠如はここに起因している。高校生である苹果が、小学生であった姉の欲望をなぞっている。姉の妄想-欲望(運命)を忠実になぞろうとする限り、決して「初夜」にはたどり着けないだろう。ここに、時間の順行と逆行の相克がある。
そして実際に苹果が、具体的、直接的、身体的に接触するのは(前々回にひきつづき)多蕗ではなく晶馬である。姉の代理であろうとする苹果だが、彼女の対象である多蕗もまたいつの間にか代理され、晶馬になってしまっている。代理による行為は、代理によって受け止められる。ここでも、計画と実行との間の溝が徐々に広がりつつある。この作品の面白さ、動きの複雑さは、このようなズレにある。
●苹果が多蕗に積極的にアプローチしない時に限って、ライヴァルである時籠が登場しない。時籠ゆりというキャラクターの重要度が、この時点でもまだ掴めない。今まで、徹底して「天然」なキャラだった多蕗が、はじめて意味ありげなことを(回想シーンで)言った。というか、多蕗にも「過去からの拘束」があることが示された。
●四羽目のペンギンの登場。
●苹果の謎がある程度明らかになった一方、高倉家の謎についてはほぼ何も明らかにされない。しかしこの作品の面白さは、これだけこれみよがしに「謎」がほのめかされているのに、観ている間はそんなことを忘れてしまうくらいに、様々な動きが画面を重層的に横切ってゆくところだ。視覚的、聴覚的、主題論的、説話論的、位相的……等々。