●『ラカン精神分析の治療論』(赤坂和哉)によればラカンの前期、中期、後期の分析は次のようにまとめられる。
前期の分析は、父の名によって保障される大文字の他者(象徴的なもの)へと分析主体が導かれることを目的とする。ここで無意識は(歴史や世代によって規定される)共同的なものであり、一つのランガージュとして構造化されている。いわゆる「第三者の審級」としての大文字の他者の場(象徴的なもの、構造)はある程度安定的に作動しているとされる。だから分析は、シニフィアンを正しく解読し、主体がその解読された「新しい意味」へと同一化することを目的とする(シニフィアンの正しいシニフィカシオン)。ここでの分析は共同性へと開かれている。
中期の分析は、大文字の他者の権威を支えていた「父の名」が失墜し、それにかわってその位置に「みせかけ」としての対象aが配置される。唯一の真理を保証するものだった「父の名」はここで複数に分裂し、「想定された知(あたかも知っているかのようにみえる「みせかけ」としての効果)」と化す。そこで無意識は想像的なもの(想定された知)となり、シニフィアンのシニフィカシオンをめぐるものだった分析は、幻想と見せかけをめぐるものとなる(とはいえ「みせかけ」は想像的なものだが、「幻想」はシニフィアンの配列-象徴的なものであり、象徴的なものの優位はかわらない)。分析の目的は、分析主体が複数の幻想を数え上げ、それらを通り抜けることを通じて外堀を埋め、反転的に欲動(対象a)という「無」に直面することであり(脱幻想)、大文字の他者がみせかけに過ぎないことを知ることである。その時「私」は主体という地位を解任され、欲動に解体される。分析は、共同化へ向かうのではなく、いわば「私の欲動」へと閉じられる。
後期の分析では、無意識は「駄作としての知」として現実的なものの場に移動する。ここではすべてが享楽から整理される。大文字の他者を保証するものは「みせかけ」でさえない「穴」、最小限のシニフィアンとしての「享楽の一なるもの」にまで切り詰められる。「享楽の一なるもの」とはおそらく、享楽が他ではない「私という固有の場(一)」で起こるという、最初であり最低限の印(私=一)のことだと思われる(ヘーゲル的な否定性としての「一」?)。要するに大文字の他者の秩序やシニフィアンの体系は解体され、分析は、「享楽の一なるもの」によって「享楽」を「意味」に結びつけるものとされる。それはつまりサントーム(症状)との同一化(症状とうまくやっていく)である。
欲動と出会った主体には享楽しかなく、意味も真理も解体し、無意味なものとしてのサントーム(症状)を練り上げるしかなくなる。サントームとは享楽の審級化であり、主体はサントームによってかろうじて享楽を意味へと接しさせることができる。ただしサントームは無意味であり「一」なるもの(深さ)であるから、共同性とはまったく通路をもたない。
●きわめて大ざっぱに、(1)共同性としての象徴的なもの(無意識という構造)へと主体を導く前期の分析を、分析のレヴィ=ストロース的段階とし、(2)父の名が「みせかけ」となり複数化することでシミュラークルが跋扈する中期の分析を、分析のクロソウスキー的段階、(3)あらゆるものが享楽によって解体されて無意味(サントーム)と化し、「一」なるものが孤立する後期の分析を、分析のニーチェ的段階と言うこともできるんじゃないかと思う(あるいはベケット的と言った方がいいのか、ラカン自身はジョイスを挙げているが、ぼくはジョイスにはあまりなじみがないので…)。
前期、中期、後期という展開を継起的なものと考えるならば、それはいわば、理論の構築、発展、解体という様相を呈し、ラカンは自分でつくりあげた理論を最後は自分で解体してしまったということになってしまう。しかしここで、後期の分析においてサントームにまで還元され解体された主体は、孤独なサントームとして生きると同時に、この社会のなかでなんとかやっていかなければならないのだから、結局また(サントームを抱えたままで)前期の段階(共同性)に回帰して開かれるしかなく、前期-中期-後期-前期-中期……、というダイナミックなループ運動を行う(繰り返す)ことになるのではないか。
あるいは、前期の分析を象徴的なものにおける分析、中期を想像的なものにおける分析、後期を現実的なものにおける分析と考えるならば、それらはまさに「ポロメオの輪」として、「水平的」に「重層化」されて、つまりそれらはすべて「同時」に作動していると考えることもできる。有名な「ポロメオの輪」を、たんに象徴界想像界現実界の配置を図示したものとしてではなく、前期、中期、後期の分析が、それぞれ独立しながらも、互いに接し合って協働して作動していることを示していると考えるならば、ラカン精神分析に対するイメージもずいぶんかわってくるように思われる。