国分寺のギャラリー・スイッチポイントで井上実展。
http://www.switch-point.com/2011/1119inoue.html
あきらかにこの一、二年くらいで井上実は、これまで自分を縛っていたタガのようなものの一つを外したと言える。その感じは、去年のぼくの個展のイベントでの井上実のトークからもうかがうことが出来たのだが、その「熱さ」と「濃さ」とが、具体的に作品(作品群)となってあらわされ、展示されている。おそらく、今まで井上実の作品をずっと観てきた人でも(というか、そういう人ならなおさら)これらの作品に驚かされるのではないかと思う。
モチーフは、庭や空き地などにどこにでも見られる、数種類の雑草が折り重なるようにして生育している状態(モチーフ自体は今までとかわらない)。それが、実際の雑草のサイズよりもかなり拡大されて(画面はかなり大型になっている)、雑草の育成する力そのものと同調するかのように、画面の隅々までびっしりと埋め尽くすように描き込まれている。
実はぼくは、新聞の展評を書くために十日くらい前にアトリエへ行ったので、展示作品をすでに観ていたのだけど、それでも、改めて展示されている作品を観て圧倒された。アトリエで印象的だったのは、100号くらいのでかい作品を描いているのに、A5サイズくらいの小っちゃい紙パレット一個に、絵の具がちょこちょっこっと出ているだけだったこと。この強烈な「アンバランスさ」からも、作品に込められた熱量をひしひし感じたのだった。
本人に聞いたところ、狭い一定部分の範囲を描いたら、その部分を描くのに使った紙パレットは捨ててしまって、改めてまっさらなパレットからまたはじめて、狭い一定部分だけを描いてゆくのだと言う。つまり、画面の全体を見て調子を合わせるということを基本的にせずに、画面の隅っこから順番に少しずつちまちま埋めるように描いてゆくのだ、と。実際に、ぼくがアトリエを訪れた時にはまだ完成していなかった100号の作品は、画面の左上の一角がほぼ空白のまま残されていて(他の部分はびっしり描きこまれているのに)、本当に隅っこから順番に描いているのだなあと思った。
このような描き方からも分かる通り、重層し積層する雑草を描いているけど、絵の具そのものは層構造をつくらない。部分部分を見るならば、淡い色調の絵の具が薄く塗られているだけで、微妙な濃淡の調整はあるものの、絵の具は一層で、しかも個々のタッチというか形態は、主に植物の茎の形態と同期する「隙間(キャンバス地が露呈している部分)」によって切り分けられ、隔てられている。だから基本的には、形と形は、層をつくらないだけでなく重ならない。イメージとしては、幾重にも折り重なる植物が描かれながらも、絵の具、形態、タッチの水準では、ただ水平方向のひろがりへと散ってゆくだけなのだ。しかも、ひろがりがなだらかに繋がらないように、間にブランクを挟んでいる。
絵の具と絵の具、タッチとタッチとが層をつくらず、しかもひろがりは隙間(亀裂)によって隔てられている。この点に関しては(関してだけは)、ぼくがまさに今つくっている作品と関心が重なっている(ただぼくの場合は、タッチの配置が問題となるので、全体を見ないわけにはいかないのだが)。これは、絵画が「ある限定をもったひろがり」であることから逃れるために、とても重要なキーになることなのだとぼくは思っている。
それはともかく、そのような描き方をして、しかもモチーフが植物であると、作品がモザイクのようになって、工芸的な「仕上げ」の完成度へと向かってゆきやすいという危険がある。実際、井上実の過去の作品を観ても、何度かそのような危険に近づく時期がある。画面が拡大され、いままで空白だった部分が「隙間」にまで縮小され、モチーフが図像的により複雑になっているため、その危険は今までよりも数段大きなものとなっているはずだ。しかし、この展覧会に展示されている作品に関しては、そのような危険はほぼ感じることがない。それは、決して単調になることなく持続される詳細な描き込みのもつ説得力によっていると思う。そして、決して単調にならない詳細な描き込みを支えているのは、画家のモチーフへの強い愛着であるように思われる。
植物のイメージは、薄くて淡い絵の具の静かなコントラストのみによって織り上げられるのだが、画面じゅうにみっしりと埋め込まれ、いたるところから響いてくるその静かなざわめきは、画面の上でではなく、それを「見ること」という行為の場において何重にも重なって、圧倒的な響きになる。
●お知らせ。東京新聞、10月14日付の夕刊に、ギャラリー・スイッチポイントの井上実展の展評が載ります。
●ちょっと、昨日のつづき。ラカンの中期の分析においては、主体が欲動という「無」に直面することが目的とされた。それは、大文字の他者が偽物となり、主体が「私の欲動」へと解消されて、閉じてしまうということだった。しかし、その分析の過程では、何度も幻想(幻想はシニフィアンで出来ている)を横断するのだから、分析の過程においてはシニフィアンと関わり、シニフィアンと関わる限り「閉じる」ことは出来ないのだから、そこにも(分析という「行為の過程」によって)辛うじて外への通路はあるということになる。
だが、後期の分析において、主体のサントーム(症状)への同一化が目指されるとしたら、そこには外への通路はまったくなくなってしまうと言ってよいのだろうか。サントームとは《分析主体が離れたがらずに固執し、愛してやまない症状》である、と。とはいえここで、『ラカン精神分析の治療論』に書かれているもう一つのサントームの特徴、サントームとは「芸術・技」であり、「技量をもつこと」である、という点か気になってくる。《つまり「振る舞いと知は技量で接合される」のである》。
「振る舞い(無意味)」と「知(意味)」とを接合する「技量」としてのサントーム(症状)。つまり、技量としてのサントームがなければ、「振る舞い」と「知」とは決して接合されない、と。振る舞いと知とを「媒介するもの」として、アートとして、テクネーとして、技芸としてのサントーム(症状)というものを考えることが出来るのだとしたら、それは、シニフィアンとはまったく別の外への通路だといえるのではないか。
●あるいは、サントームが、そのままの形では交換できない(サントームに正当な交換レート-大文字の他者がない)としても、あるサントームと別のサントームが響き合うことは普通にあるのではないか。
ラカンはそのような出来事を「ララング」という言い方で捉えているのかもしれない。《サントームあるいはサントームが生み出すものとは、享楽的なパロールであるララングである。それは大文字の他者へのコミュニケーションではないという意味で、承認や理解を目指さないパロールであって、無駄話と言えるようなものなのである。》《それは万人が受け入れられるような大文字の他者に基づいた昇華の形態ではなく、意味と享楽の促成栽培と形容しえるような一部の人たちのみが関心をもつ特殊なものである。》そして晩年のラカンは、《わたしはそこへ到達した》と言っている。
大文字の他者を介さないコミュニケーションこそがコミュニケーションといえるものなのではないか。それは、交換レートのないところで成立する短絡的交換であり、秩序と無秩序の間に生起する秩序-無秩序のハイブリッド状態としての「新たな何か」であり、新たに到来するものとしてのリズムでありテクネーのことだと言えるのではないか。そのような意味ではサントームは決して閉じられてはいなくて、むしろサントームとサントームのショートカットという出来事こそが、大文字の他者を書き換える可能性なのだ、ということにならないだろうか。
●例えばベケットの作品には、生きるための指針や社会をよくするためのヒントは何一つ描き込まれていない。にもかかわらず、一度でもそれを読んだら最後、そのような作品があることを一生忘れることは出来ない。つまりそれは、世界に「生の感触」を一つ新たに生み出す。人は、それを忘れることが出来ない人間としてその人の生を生き、そのような人間として社会のなかで行動する。それを忘れることが出来ないことが、その人の生をかたちづくり、それを忘れることの出来ない人(たち)の行動が、結果として社会(のある部分)をかたちづくる。実際、「あんな作品」を読む人が世界中に少なからず存在するという驚くべき事実が、徹底して閉じられたものとしてのサントームの普遍性を証明しているのではないか。