●時々、夢に出てくる大木がある。その木のある四辻より先は、異界というのは大げさとしても、日常的に親しんでいる領域から外れて見知らぬ土地に入る。あるいは、どこともしれない場所を彷徨っていても、その木を発見できれば、そこから見知った領域に戻ることができる。夢のなかでしばしばそのような境界を示すしるしのような木。そしてその木は実在した。
小学生の頃、(子供の主観としては)学校は遠かった。子供の足で片道三十分くらいという程度だが、小学校低学年としてはかなり遠い感じがした。入学して、集団登校ではじめて学校まで行った時はその遠さが不安だった。しかししばらくすると、その遠さそのものを楽しむようになった。ぼくはほとんどまっすぐ帰ることのない子供で、常に遠回りし、回り道をするようになる。毎日のように違うルートを探して帰った。だが、子供なりの無意識のうちの行動範囲の制限があるらしくて、例えば学区を越えて極端に遠くまで行ってしまうことはなかった(遠くへ行くことではなく、回り道をすることが楽しかった)。そして、(学校の帰り道としては)そこから先は踏み込まないというしるしの一つとして、その木があった。
しかしそのことはすっかり忘れていた。あるいは、当時のぼくはそこが境だということを意識などしていなかったのかもしれない。だが、二、三年前に正月に帰省している時、ふらっと(と言っても一度出たら四時間以上にはなるのだが)散歩に出て「夢のなかに出てくる木」を発見してしまったのだった。その時まず、自分の頭の中(夢)と外とが繋がってしまったような、何とも言えない奇妙な感覚に襲われた。そして少し経ってから、小学校からの帰りにこの辺りまで回り道して来ていたかもしれないという気持ちがじんわりと染み出てきた。そして、そういえばいつも、この木の辺りで自分の家の方向に曲がったのではなかったかというような気がしてきた。その先の道の微妙な彎曲の仕方に、はるか昔に、心細いような「遥かな遠さ」を感じたことがあるような気がした。だけど、その「遥かな遠さ」を感じていたのは、小学生の時の自分なのか、夢のなかの自分がそのように感じたことを、過去の自分に投影しているだけなのかは、よく分からない。過去の記憶が夢に反映されていたのか、そのような夢を見たことが過去の記憶に影響を与えたのか。
そんなことがあったという事実もまた、夢のようにあやふやになってしまうのだが、今年の帰省中もその木の前を通った。そこを目指していたわけではなかったのに、行き着いてしまった。まわりは、最近建ったような住宅が建ち並んでいて、35年以上前の痕跡を残しているのは、その木と木が生えている一辺10メートルに満たないわずかな土地だけだ。土地にはいくつかの墓石が置かれていた。なぜそんなところにいきなり墓地があるのかは分からないけど、ここが墓地であるおかげで、その木は今でもまだそこにあるのだった。