ペンローズの「量子脳」について、ちょっとメモ。この理論は素人目でみてもちょっとあやしいにおいがするし、実際、評価はあまり高くないようだ。だがよくみると、見た目ほどはあやしくないということになってくる。『ペンローズの〈量子脳〉理論』より。
●意識と量子力学の関係を指摘する典型的な俗説は、量子力学の非決定論的な側面をいわゆる自由意志の根拠とするものだが、それは間違いだと茂木健一郎は書いている。ペンローズにとって重要なのは「決定論/非決定論」という対であるより、「計算可能/計算不可能」という対が重要である。ペンローズが意識の根拠とするのは、環境から孤立した波動関数の収縮が自律して(客観的に)起こるということだが、そのプロセスを「決定論的だが計算不可能」なものだとしている。つまり意識(ペンローズの場合これはそのまま知性と言ってもいい)が、「すでに決定されている」が、「アルゴリズムによってでは算出することができない(物理法則からは導き出せない)」ものとしてとらえられている。言い換えれば、意識(知性)とは、すべてはあらかじめ決まっているが、それを事前に計算することはできないという風に世界がある時、その、「決まっている」と「計算できない」の間の境を越えるようなものだ、として捉えられていると考えられる。
●ここで計算不可能性の根拠となるのがゲーテルである。ペンローズのインタビューからの引用。
《しばしば、ゲーテルの定理は、人間に証明できない定理があることを意味すると考えられていますが、そうではないんです。ゲーテルの定理が証明していることは、私たちは常に新しいタイプの理屈を探し続けなければならず、ある一定の、固定したルールの集合に頼ることはできないということだけです。》
要するに、計算可能であるということは、「ある一定の、固定したルールの集合」のなかだけでやっていけるということであり、計算不可能性とは、「ルールの集合」は常に(永遠に)何かが足りず、その外の「新しいタイプの理屈(ルール)」を見いだしてくる必要が出てくる、ということになる。そして、その外は「既にある(決定論)」のだが、その都度の「外へ出ること(計算不可能性)」によってしか見いだされない、ということになる。
《私自身のアイデアの中心になるのは、「計算不可能性」(non-computability)です。現在知られている物理法則は、すべて計算可能なタイプです。つまり、私たちは、現在の物理学の描像の外側にいかなければならないのです。》
竹内薫は、この計算不可能性をセマンティックス(意味論)に、計算可能性をシンタックス(構文論)に結び付けている。
●もし、意識の根拠が「脳のニューロンの回路網のふるまい」であるとすれば、それらはすべて古典的物理法則によって記述可能であり、つまりは「計算可能」だということになる。だとすれば、計算可能なプロセスである意識からなぜ計算不可能な知性が出現するのかということの説明がつかなくなる。ペンローズの問題意識はここからはじまる。ここではじめて、古典的な物理法則とはことなるふるまいをする量子力学と意識との結びつきの必然性がみいだされる。とはいえ、現在の量子力学では不十分である、と。
《物理理論では、「波動関数の収縮」と呼ばれる方法によって量子レベルから古典レベルに移行することができます。これがいわゆる「観測問題」で、今のところ、全くランダムに移行することになっています。つまり、ここでは決定論的な計算可能性がランダム性と結びついています。でも、これは私が非計算的と呼ぶのもではありません。》
《意識を説明する理論が必ず持たなければならない性質があることは確かです。たとえば、巨視的な量子的状態があって、その波動関数が自発的に収縮するという要素は、絶対に必要だと思っています。》
《ところで、もし実際に環境のなかで収縮が起こるのだとすると、その時どうしてもランダムな要素が入ってくるわけです。だとすると、新しい理論でも、標準的な解釈と結論は変わらなくなってしまいます。意識にとって役立つような、非計算的な要素は入ってこなくなってしまいます。非計算的な要素を取り入れるためには、環境に頼らないで自分自身で収縮できるくらい、十分に大きい量子的状態が必要になります。》
●そこででてくるのが、量子論古典物理学(相対論)を結びつける「量子重力」理論ということになる。
《現代物理学の描像によれば、現実世界は、三次元の空間と一次元の時間が組み合わされた、四次元の時空のなかに埋め込まれている。この時空は、アインシュタインの一般相対論に従って、少しだけ曲がっている。空間の曲がりは、質量密度の分布を重力場が反映することによって引き起こされる。》
《一方で、量子的なシステムが物理学者によって研究される際には、このような、質量の存在によって引き起こされる時空構造の小さな曲がりは、全くと言っていいほど無視されてきた。(…)しかし驚くことに、時空構造のこのような小さな違いが、実際には大きな効果を持つことがありうるのだ。》
《重ね合わされた量子的状態が、異なる質量分布を持つ場合、それぞれに対応する時空の幾何学も異なることになる。こうして、重ね合わされた量子的状態が存在するときには、同時に、異なる時空構造の重ね合わせも存在する。》
《このアプローチでは、「OR」(波動関数の「客観的収縮」のこと)の起こる早さ、ないしは時間スケールは、量子重力の基本的な考察に基づいて計算することができると提案されている。(…)すなわち、十分異なった時空構造の量子的重ね合わせは不安定であり、その寿命は時空構造のずれに応じた時間スケールで与えられる。このような重ね合わせの状態は、やがて単一の時空構造へと収縮する。すなわち、最初に重ね合わせられていた時空構造のどれか一つへと収縮するのである。》
●つまり、質量性=重力によって起こる時空構造のずれこそが、波動関数の客観的で自律的な収縮を導く根拠とされる。この部分はぼくにはすごくおもしろくて、読んでいて興奮を抑えられないのだが、物理学的にどの程度妥当だといえるのかという点については、もちろんぼくにはまったく判断できない。
●そして、
《私がみるところでは、意識は、量子力学の収縮過程と関係していると思います。時々、量子的な状態が、他の量子的な状態へとジャンプするわけです。もし、十分に大きな量子的状態があって、それが、十分に複雑な外部システムと関係するならば、そこには意識が生ずると思うのです》、ということになる。
ペンローズは、実際に脳のなかでそのようなマクロな量子状態を実現し得る構造体として「マイクロチューブル」をあげるのだが、茂木健一郎の反応は、「いや、それはない、ペンローズは生物学について知らな過ぎ」という感じだったりする。