●昨日も書きましたが、一応、地味に中国デビューということで、記念として、六千字くらいあってちょっと長いですが、大江シンポでの『水死』についての講演原稿をアップします。「山東社会科学」という雑誌に掲載されました(他にも、沼野充義さん、安藤礼二さん、朝吹真理子さんのテキストが翻訳されています)。これは「早稲田文学」に載った『水死』論をさらに発展させたものです。
大江健三郎シンポジウム原稿 『水死』をめぐって


今日ここへお越しの多くの方が、なぜ「画家」という肩書である私がこの場に立っているのかという違和感をお持ちだと思います。私自身も場違いではないかという感覚をもっています。私は以前「早稲田文学」という雑誌に『水死』論を書きました。おそらくこのシンポジウムの関係者のどなたかがそれを読まれたことで、この場に呼ばれたのだと思います。既に『水死』論を書いているわけですから、『水死』という小説をそれなりに精読しているという気持ちがありました。しかし今日のために読み返してみると、その射程の広さと深さに改めて圧倒されてしまいました。言うまでもないことですが、今日ここでお話しさせていただくことは、『水死』という大きな作品を構成する要素のごく一部に関することであって、その全貌をカヴァーしたものではないということをお断りした上で、話を始めさせていただきます。


『水死』という小説を読んでまず気づくのは、前作である『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』との対照関係ではないでしょうか。どちらの作品においても、過去に性的な傷をもつ女性が中心にいて、語り手である小説家は人生の大きな危機のなかにいる。そして小説家は、父であり保護者である自身が死んだ後の、障害をもつ息子のあり様を気にかけている。女性は女優であり、自らの仕事を通じて他の女性たちと連帯し、それによって過去を克服しようとしている。そして小説家は、その女性たちと緊張関係を保ちながらも女性たちに助けられ、その仕事に協力することで、自らの危機を脱しようとしている。
とはいえこの二作は、類似しているというよりむしろ反対を向いていると言うべきでしょう。例えば「アナベル・リイ」のサクラさんはあくまで女優としての仕事を通じて多くの女性と連帯することを目指し、小説家もまた先行する多くの伝承や作品を読み替え、書き換えることを通じてある「文体」を獲得することを目指していました。しかし『水死』のウナイコにとって演劇は目的ではなく手段であって、小説家もまた、自らの「文体」を逸脱してまでウナイコの目的に奉仕しようとします。小説家本来の《アンチクライマックス》の手法はウナイコによってその社会的な意義において批判されます。何より、読まれ、書き換えられるべき根拠であるはずだった赤革のトランクの中味は読むに足りるものではなく、実はたんに浮き輪替わりでしかなかったかもしれないという事実が、読むことと書くことによって支えられる小説家という存在を、より大きな危機へと追い込みます。「アナベル・リイ」では語り手はケンサンロウあるいはkenzaboroと作家自身に近い名で呼ばれますが、『水死』では長江古義人という名を持ちます。サクラさんを傷つけるのは占領軍としてのアメリカですが、ウナイコを強姦するのは、我々がその内側にいる日本です。
しかし、『水死』を「アナベル・リイ」の批判的な書き換えとみるべきではないと思います。そうではなく、この二作は鏡像的なペアともいえる対称的な関係にあるのではないでしょうか。そして、そのような鏡像的な二人組という関係は、大江さんの小説の様々なところに埋め込まれていると言えると思います。
二という数字は、『水死』の登場人物たちの関係においても大きな意味をもっています。例えば作品の中心にいるとも言えるウナイコという女性は、まず、穴井マサオの劇団の協力者として登場します。しかし次第に彼女は、語り手の妹であるアサとの結びつきが強くなり、劇団からの独立性を強くしていきます。さらに小説の中ごろになって、ウナイコとずっと一緒に仕事をしてきたリッチャンという女性が登場します。つまりウナイコという人物は、ウナイコ-マサオというペアとして登場し、ウナイコ-アサ、ウナイコ-リッチャンという複数の二人組へと分岐するという形で関係を展開してゆきます。ウナイコ-リッチャン-アサという非常に強い女性たちの結びつきは、三人の関係であるというより、ウナイコ-アサ、ウナイコ-リッチャン、アサ-リッチャンという独立した三つの二人組としてあります。三人組というクローズドな輪をつくらずに、二人組の展開としてあることがこの小説の人間関係にある開放的な感触を生んでいます。
さらに言えば『水死』を形作る構図として、父-息子(親-子)、師匠-弟子という、何ものかが継承されるべき軸と、男性/女性、右派/左派という対立し批評し合う軸によって分けられた二つの項の関係を基本にしているという点も挙げられるでしょう。
さらに二という数字は、双方向性という意味ももちます。例えば、舞台となる土地で生まれ、土地に根拠をもつ古義人は、東京へ出たきりで《川流れのように帰って来ない》とされる。しかし一方、土地に根拠をもたない、後からやってきた古義人の父こそが、土地に根差し、森に帰ってゆくかのような死を迎えたというイメージによって語られる。あるいは、日本で生まれた古義人がナショナリストたちを批判する立場にあり、日本で生まれたわけではない大黄こそがナショナリストという位置にいる。この点で、古義人/父、古義人/大黄という関係は、対立するというよりむしろ逆のベクトル、あるいは逆向きのねじれをもった人物としてあり、その双方向性によって絡み合い、深く関連し合っていると言えると思います。
このような点から考えれば、「アナベル・リイ」と『水死』との関係も、対立や鏡像関係としてみるよりも、双方向的に逆のベクトルをもって絡み合っているとした方が適当かもしれません。


このような幾つもの二人組、あるいは二項の関係の基本となるものは、何と言っても古義人とコギーの関係であると思われます。
コギーの不思議さは、コギーという名が指し示す対象のあいまいさにあると言えます。コギーは、まずは幼い古義人が見ていた自分とそっくりの分身に与えられた名です。しかしそれはそのまま古義人の呼び名でもあり、さらに彼の息子を指すことさえあります。
『水死』において、古義人は分身であるコギーに置いて行かれた、置き去りにされたという意識をもっています。古義人は、コギーに置き去りにされ、父に置き去りにされ、そして大黄に置き去りにされる。古義人は、自らの内に父への激しい愛を感じ、さらにサイードのレイト・ワークという概念にも通じるカタストロフへと至る物の怪のような強い感情があることを感じています。しかし、そのような内なる物の怪に形を与え、何かしらの行為に移すのは古義人ではなく大黄であり、そしてウナイコであります。コギーはこちら側ではなく、常に向こう側にいて、古義人は置き去りにされる。
話はややそれますが、物語上では確かにウナイコは「メイスケ母出陣と受難」の公演を中止せざるを得なくなります。しかし『水死』という小説の読者に対しては、ウナイコの上演はこれ以上ないというくらいに上手くいったと言えるのではないでしょうか。ウナイコにとって演劇は社会的なアクションの一つであり、手段にすきません。「死んだ犬を投げる芝居」は演劇作品というよりも、客席を含めた劇場全体によって現実の政治的な抗争を可視化するための仕掛けであると言っていいでしょう。であるならば、自らの身に十七歳の自分の物の怪を宿し、自分を強姦した男をおびき寄せ、強姦を演劇としてではなく実際に再現させ、その上で大黄によるリアクションを得るということが、ウナイコにとっては目的の達成であったとさえ言えるのではないでしょうか。そしてそのためには、長江古義人の手助けなどはじめから必要はなかった。
ここで、ウナイコと大黄という二つの物の怪が共鳴します。ゴムやすを目つぶしとして使うことを《ヘドだね》と言った吾良に対して《スマートな武器が手に入りさえすれば、ヘドといわれる戦い方はしないよ!》と言い返す大黄の戦い方は、ウナイコにも共有されるものでした。ウナイコはこの事件によって十七歳の「あの地点」から人生をやり直すことが出来るでしょう。そして大水の夜に長江先生に置いて行かれてしまった大黄は、あらためて先生を追って船出し、森々とし、かつびょうびょうとした森へと帰ってゆくことが出来ます。そしてここでもまた、古義人は、物の怪に、あるいはコギーに置いて行かれてしまうのです。


物の怪としてのコギーは常に向こう側にいて古義人を置き去りにして行ってしまう。古義人はいつも、向こう側へ行ってしまうコギーをこちら側から見送る。そしてコギーもまた、向こう側からこちら側を《ある表情》をしつつ見ている。しかし、コギーとは同時に古義人その人のことでもあります。古義人とは、コギーのこちら側に取り残された一部分(抜け殻)であると言えるのかもしれません。この時、コギーと呼ばれもする古義人は、決して向こう側には行けないとしても、向こう側からこちら側を見返すコギーと重なり、コギーを通じて、一瞬、こちら側を見返す視線を手に入れるということがあり得るのではないでしょうか。こちら側に置き去りにされる自分を、向こう側から見ている視線。自分は決して向こう側へは行けないとしても、向こう側へと越えてゆく者のもつこちら側への眼差しを分け持つことは可能なのではないか。このような視線の双方向的な交換への希求が、大江作品における、分身的、鏡像的、双方向的な「二」の重要性を生んでいるように思います。


ここで、大眩暈に襲われる直前に、古義人が穴井マサオと川で泳ぎ、十歳の頃からかわることのないミョート岩の奥のウグイの群れを見、そこでウグイたちの方でも《それぞれの黒い目に、こちらへの認知がちらりと動》いたとされる美しい場面を思い出していただきたい。十歳の頃にそこで溺れそうになった経験のある古義人は、《あの時、ぼくが頭を岩にはさまれてそのまま溺れていたとすれば、いまぼくもウグイの一尾として、こちらのぼくを見たと思うね》と言い、マサオに《しかしその場合、いまの時点でこちらからウグイの群れを覗き込んでいるあなたはいないわけだから》と言い返されます。そして、ウグイの一尾とはなれず、あおり足でやっと水に浮かんでいる今の自分を指して、《こちら側のそいつのことを、引き受けるほかない》と答えます。ここで、半ばウグイの視点となって《こちら側》の《そいつ》として指示される「自分」のあり様に、コギーに置き去りにされつつも、コギーと一部で視点を共有する古義人の存在する位置が見て取れるように感じられます。


ところで、大江さんの作品の多くに、実在する大江健三郎を想起させる人物が語り手として登場することは周知の事実でしょう。その時、実在する作家の家族関係や交友関係までが、大江健三郎という人と実際に交友がない我々でも知っている事実と正確に対応するように書かれています。塙吾良が実在した誰に当たり、作曲家の篁さん、建築家の荒さん、恩師の六隅先生が誰のことなのかを容易に想定することが出来ます。それだけでなく、実在する大江健三郎の過去の作品が、例えば虚構の世界の長江古義人の作品としてそのまま引用されもします。とはいえ、その小説世界は、現実世界が正確に反映されているわけでもありません。例えば、「アナベル・リイ」で書かれている『メイスケ母出陣と受難』に対応する映画は現実世界では製作されていないようです。
もう一つ重要なのは、過去の作品に書かれたことが、それ以降の作品のなかで事実として扱われる事です。『水死』においても、実際には作られてはいないが「アナベル・リイ」という小説中では製作された『メイスケ母出陣と受難』という映画作品は「ある」ことになっています。つまり近年の大江作品の多くにおいて、作家大江健三郎の周囲で実際に「起こったこと」と、大江健三郎によってフィクションとして「書かれたこと」とが、同等の権利と重さをもって混じり合っていると言えると思います。これはたんに私小説的な設定のなかでフィクションが構築されるといった単純なことではないと思います。
これは、起こったことと書いたことという、二つの異なる次元にある過去が、作家が小説を「書く」という行為によって連続性をもつものとして結び付けられる、ということではないでしょうか。作家大江健三郎を正確に反映する登場人物長江古義人が、この二つの異なる次元を結び付ける蝶番となる。こちら側にいる大江健三郎と連続しながらもあちら側へと分離してゆく長江古義人、そして、こちら側にいる長江古義人と連続しながらもあちら側へと分離してゆくコギーという構造はパラレルであるように思われます。このように、連続しながらもそこから分離してゆくことで二つの世界の蝶番となる存在を成立させる構造は、古義人からコギーが向こう側へと分離してゆく時に成り立つ、古義人の視線の一瞬の双方向性に根拠をもつように思われます。こちら側から向こう側を覗き込む大江健三郎と、向こう側からこちら側を覗き込む長江古義人との、その中間地点にたちあがるのが、小説家が小説を書くときの「書く」という行為の平面であり、その「書く」行為によって生み出された「小説」そのものだと言えないでしょうか。つまり、《こちら側》の《あいつ》として自分を捉える双方向性は、書くこと、と、書かれたものによって生まれるのではないでしようか。


さらに言えば、こちら側から向こう側を覗き込む視線と、向こう側からこちら側を覗き込む視線が触れ合う、その中間に立ち上がるものこそ、夢としてのフィクションではないかと思われます。書くことによってたちあがる夢。『水死』における古義人の夢、「アナベル・リイ」におけるサクラさんの夢、この二作に共通して、夢は過去と現在のどちらからも、そしてこちら側とあちら側のどちらからも零れ落ち、かつ、それによって両者をつなぐものでありました。
『水死』という小説には、様々な生々しい現実的問題が含まれていますし、登場人物のウナイコは、「文体」ではなく、現実上の社会的な効果をこそ求めています。長江古義人もまた、そのようなウナイコに共鳴してもいます。であるならば、私のようなやり方で『水死』を読むことは適当ではないのかもしれません。しかしこの小説のラストの出来事が、古義人がぐっすりと眠っている間に起き、伝聞と想像によってのみ構成されるという事実は決して軽くないと思われます。向こう側へと境を越えてゆくウナイコや大黄と共にあるのではなく、古義人は、こちら側と向こう側との境にある夢の場所に踏み止まったのではないでしょうか。それは、十歳の頃からかわらずあるミョート岩のウグイたちの視線と、年老いてゆく時間のなかにある自分の視線とが、ほんの一瞬だけ触れ合う夢の場所、そのようなものとして小説をたちあげるということではないかと私には感じられます。
(了)