●辰野登恵子の作品は、グリッドそのもの(グリッドの歪みや瓦解そのもの)をモチーフにしているように思われる。それは、対象ではなく空間こそがモチーフであるということだ。これは初期作品から現在まで一貫しているように思う。その点では、たとえば八十年前後の山田正亮や初期の中村一美などと共通している。山田正亮においては、文字通り矩形の仕切りが崩壊してタッチが相互還流するのだし、中村一美においては、「Y」というような形態の画面への導入が、グリッドそのものの顕在化とその歪みとを同時に生成させる機能をもつ。抽象表現主義の作品が、対象ではなく空間や場そのものをモチーフとし、しかしだからこそその静態性がある停滞と行き止まりを招いてしまった(たとえばポロックの五十年前後の作品では、さまざまな動きや出来事の予感というポテンシャルを濃密に含みながらも、それらが互いに拮抗することで全体としては奇妙な凪のような状態を示している)とすれば、隠された「空間の原基」そのもの露出させ、さらにそれを歪ませることで、そこに動きと展開の「余地」を生み出したという点で、それらを正統な抽象表現主義の継承であり発展形と言ってもよいはずであろう。
●だが辰野登恵子の作品はそこにとどまらない。空間そのものであるはずのグリッドと、その内部に置かれる対象物とが混同され、次第に区別がつかなくなってゆく。八十年代はじめ頃の装飾模様をモチーフにした作品(装飾模様のパターンの反復性がグリッドとしての機能をもつ)。その後の、矩形の連なりがつくるひし形と、その背後の暗い穴のようでもあり物のようでもある塊がわずかにズレながら重なる作品(矩形の反復はグリッドであり、しかしその連なりの作る形がカンバスの形を反復しつつ歪ませるようなやや傾いたひし形をしていて、そしてその背景にグリッドそのものを目に見えるようにするための影のような広がり=塊がある。矩形の連なりは前にあるはっきりとした形態であるが、中央がくりぬかれているという意味で、「ポジティブ/ネガティブ」としてあり、塊は、穴か影のようであるが、同時に内部に強い視覚的求心性をもつので「ネガティブ/ポジティブ」としてある。ここで二項対立的な構造がはっきり出ている)。そして、グリッドそのものが物質化したような、多数の泡状の球形が明滅する作品(グリッドが矩形ではなく丸くなったことで膨らみをもつようになる、ボリュームの顕在化)。最近の、本や積木が重ねられたような、あるいは背板がくりぬかれた本棚のような、具象形態がはっきりあらわれる作品(グリッドとしての機能をもつものがはっきりと三次元的な立体性と物としての充実をもつようになる。しかし物と背景との関係は単純ではない)。おおざっぱだがこのような展開をみてみると、グリッドがどんどん対象化(物化)されてゆくさまがみえてくる。2000年以降の作品をみると、ほとんど、普通に三次元の空間のなかに物体が置かれている素朴な絵のようにも見えてくる。
●しかしこれらの物たちは、どれも物であるというよりその形態や構造がもつ(準グリッド的な)機能こそが重要である。そこに「何が描かれているのか」にほとんど意味はない。それらは、反復性によって空間をたちあげ、そのリズムの融通性によって空間を歪ませ、複数の異なる反復性(形象=準グリッド)の拮抗によって空間に破綻の気配をもちこみ、そして、その複数の反復性の起源(根拠)をフレーム内に置かないことによって特定の反復性(形象=準グリッド)による空間の一元的解決を宙づりにする。つまりそれは、ある特定のグリッドには着地しない諸グリッドの相互関係による相対的な空間である。近作が一見、三次元空間に着地しているように見えても(それは、サイズを小さくしたり、うんと遠くから眺めるといった視覚的な縮減を通して得られる認識であって、実物のサイズと色彩とを前にした時、それらが三次元に解決される感じはあまりしない)、形象と背景とは同一空間(同一のパースペクティブ)としてつながってはいなくて、むしろ筆触の単位や形態のリズム、色彩の明滅によって、つながり、かつ、ズレている。そして、一昨日の日記に書いたように、空間を立ち上げる反復性(リズム)は、ほぼすべて二項対立的な明滅を基本単位にしている。おそらく、まずはこのリズムが最初にあり、積まれた本や重ねられた本棚のような形象は、結果としてたまたまそのリズムがそのように結実したということに過ぎないと思われる。
●しかし、だとしたらなぜそれが、近作においては三次元的にみえる空間であるかのような形に着地するのだろうか。おそらくそれは、基本的なリズム(反復性)が二項対立的なものであることからきているように思われる。辰野登恵子においては、二項の間にある中間的な領域が問題になることがあまりない(あるいは、二項の中間はエッジとしてのみ問題となる)ということだ。たとえば、色彩においても、(八十年代の作品にはまだ多くみられるが)中間的な色彩はあまりうまく機能していないように思う。中間色は、積極的にではなく、消極的に(対立が強すぎるところを緩和させるように)使われている。端的に言えば、辰野作品において中間色はあまり美しくない。八十年代から九十年代、そして2000年以降という辰野作品の展開は、色彩においても、形態においても、空間においても、中間的であいまいな領域が少しずつ切り詰められてゆき、どんどんと、二項対立がきっぱり、くっきりと際立つようになってゆくという流れになっているようにみえる(中間領域は結果としてのエッジ部分にのみ残ったという感じだろうか)。そしてそれが結果として、一見素朴な三次元的表象にも見えてしまうほどに、(エッジはきっぱりハードというわけではないのだが)きわめて「きっぱりした」画面へと結実してゆくのだと思う。
●このように書いてきても、あの、逆説的にアンフラマンスであるかのような過剰なボリュームには全然かすっていない。過剰なボリュームは、抽象性であり基底性であるはずのグリッドが、対象化、物質化してゆく過程で強調される(というか、どこからともなく湧いて出るように、どかんとあらわれる)。とはいえ、ボリュームそれ自体は、(具象化によって引き出されたのだとしても)具象性と不可分なものではないし、空間的な属性ともすこし違う。
これは、モチーフ(外にある物)によってもたらされるものではないだろう。モチーフはグリッドそのものなのだから(そもそも、三次元空間に収まっている物はあんなに過剰なボリュームを持たない)。いやだから、グリッドそのものが無限のボリュームをポテンシャルとして含んでいて、それがグリッドの対象化という変換の過程で解放されてしまってあらわになった、とか言うことは出来るが、これでは何も言ったことにならない。辰野作品は二項対立の複雑な絡み合いであって中間的な領域があまり問題とされないということを書いたが、その中間的領域がボリュームという形であらわれているということもあるのかもしれない。
●前述したが、たとえば(五十年前後の)ポロックは、様々な動きや出来事、出来事の予感がみっしりと積み重ねられ、それらが相互に相殺することで、不思議な凪のような、あるいは騒がしい真空、みっしりしたゼロ度のような状態をつくりだしたと言える。そこには様々な不均衡と動きが重ねられているが、全体としては均衡状態である。だが、全体として「均衡状態である」と言えるのは、画面の外に立っているからだ。とはいえそれは、作品が外に立って観ることを強いるようなものとしてつくられているということでもある。その内部にいて、様々な出来事の只中で制作していたはずの画家自身でさえ、作品が完成することで、その外へと押し出されてしまう(モダニズム的な意味では「作品」はそのようなものだといえる)。もちろん、作品を観るというのは、再びその只中へと入り込んでゆこうとすることだが、それはいったん切り離されることで可能となる。
ポロックにとって自作への最大の不満は、作品が完成してしまうと自分が出来事の外に押し出されてしまうということだったのではないだろうか。完成してもなお、自分自身がその内部にとどまったままであるような(あるいは、外であり同時に内であるような位置が可能であるような)、不均衡状態のままにしておくことはできないだろうか、と考えていたのではないか。五十年前後のあまりに素晴らしい作品を置き去りにしてもなお、晩年のポロックそちらの方へ向かっていったのではないだろうか。
何を言いたいかと言えば、辰野作品では、その過剰なボリュームが、ある種の押しつけがましさのような機能をもっていて、作品自身の自己完結を阻止するような不均衡状態を作って、観者を作品の方へと絡め取ってゆく(包み込む、のではなくて)ような、作品から延びる不可視の触手のように作用しているとは言えないだろうか、ということ。(作品をキッチュとしかねない危険な)ボリュームは、観者を、引かせる、と同時に、前のめりにさせる、というか、引くことと前のめりになることの違いを消失させてしまう、というのか。