●西川アサキさんからメールをいただき、昨日の日記で触れた「貨幣レジームの変革とベーシックインカムの持続可能性」を書いた井上智洋さんと、中沢読書会の井上さんとが同一人物であることが確認できました。そこに書かれた話は非常に新しいもので、詳しい人なら当然知っているというようなものではない、とのことでした。
●論文に書かれている基本の構図をすごくおおざっぱに要約してみる。あくまでど素人による要約だけど。
資本主義は、1.資本の自己増殖、2.市場経済、3.銀行本位の貨幣レジーム、という三つのファクターでできている。1と2はいわば自然現象のようなもので時に暴走するから、3はそれを意思的に制御するためのものだ。しかし、高度成長終了(1973年)以降のポスト近代社会では、3は既に「資本主義」をコントロールする有効な手段ではなくなっている。この論文は、1と2とを(資本主義そのものを)否定するのではなく、3を変更することで1と2とをより有効にコントロールすることが出来るとしている。
≪高度経済成長の終わった1973 年より後の時代を「ポスト近代」として区分するとしよう。日本やアメリカの経済は、20 年以上も前からだいたいバブルか不況のどちらかの状態にある。ポスト近代という時代を特徴付ける経済現象はバブルと不況であり、今この時は「バブルと不況の時代」のただ中にある。
後で論じるように、現在の銀行本位の貨幣レジームではバブルや不況を制御し難い。したがって、それにとって代わるような理想的な貨幣レジームのヴィジョンが求められ、実際にそれを実現すること、つまり「貨幣レジームの変革」が必要となる。≫
●銀行本位の貨幣レジームでは、中央銀行市中銀行→(信用創造)→企業→家計という貨幣の流れとなっている。≪中央銀行が貨幣を発行し、それが市中銀行に受け渡され、市中銀行信用創造によってさらに貨幣を増大させる≫。それを、中央銀行→家計→企業、または(預金)→銀行という流れに、貨幣の流れを逆転させた、国民本位の貨幣レジームに変更すべきだとする。これはほとんど、「銀行」というものの力を無力化することと等しいのではないかと思う。
●ここから少し流れがかわり、現状の貨幣レジームで何が可能か、という話になる。それは同時に、現状の貨幣レジームがどのように機能不全であるかの具体例ともなる。
目下のデフレの主な原因は貨幣量の不足にあるから、貨幣量を増やすことで不況からの脱却をはかるべきだ、とし、その意味では、いわゆる「リフレ派」と見解が一致する。しかし、現状は≪日本銀行が通常の金融政策によってマネーサプライを自在にコントロールできるような貨幣レジームには必ずしもなっていない≫。≪現実経済において貨幣は、ハイパワードマネーとマネーサプライとに分かれており、中央銀行が直接コントロールできるのはハイパワードマネーだけで≫あり、≪企業からの資金需要が増大せず、貸し出しが増えないのであれば、信用創造はなされずマネーサプライも増大しない。ハイパワードマネーを増大させても、マネーサプライは増大せず、通常の金融緩和政策は効力を失≫っている、とする。この点で「リフレ派」とは対峙する「日銀擁護派」に近い、と。しかし、規制緩和構造改革が有効だというのではない。
●マクロ経済を二つのモードに分けて考えるべきだ。1.外生的貨幣供給モード、2.内生的貨幣供給モード。1では、≪ハイパワードマネーの量と法定準備率によって、貸し出し額およびマネーサプライが上限を画された経済状態を表し≫ており、≪その場合ハイパワードマネー中央銀行によってコントロールされ、マネーサプライの量は外生的に決定付けられる≫。一般的なマクロ経済理論によって想定されるモード。しかし、2は、ゼロ金利に到達した後に現れる。≪この場合、ハイパワードマネーの量と法定準備率によって、貸し出し残高およびマネーサプライの上限が画されることがない。そのため、ハイパワードマネーの増大がマネーサプライを増大させることがなく、中央銀行はマネーサプライをコントロールできなくなる。≫つまり、マネーサプライは経済状況によって「内生的」に決定され、外から関与できない。
●「リフレ派」は主に1のモードを、「日銀擁護派」は主に2のモードを想定しているように思う。しかし現状の貨幣レジーム下では、どちらのモードもあり得る。確かに現状、日本は2のモードにある。しかし…。
≪しかし、これは理論をそのまま当てはめた場合の話であり、そこでは単純化のために金利は1 種類しか想定されていない。現実には、短期金利とりわけコールレートがほとんどゼロであっても、長期金利がゼロ付近になったわけではない。日銀が長期国債を買い入れ、長期金利を引き下げることができるならば、それによって貸し出し金利が引き下がり、企業への貸し出しが増大しマネーサプライも増大するとも考えられる。≫ただ、このやり方には確実性があるわけではない、と。
●実は、2のモードでも確実にマネーサプライを増加させる方法があるという。たたしその担い手は中央銀行ではなく政府となる。財政支出を増大させるのだ。その財源は税金と国債の二種類が考えられる。だがここで、支出増大の財源を税金とする場合、財政支出乗数は租税乗数を差し引くことで1となる。つまり乗数効果が存在しない。よって財政支出をずっとつづけなければならなくなる。一方、政府が市中銀行国債を買い入れさせ、それを支出増大の財源とすれば、信用創造が発生し、それだけでマネーサプライが増大する。だから、国際を財源として財政支出を増大させるべきだ、と。
この仕組みが、まるで素粒子物理学の理屈を聞かされているようで、くらくらする。えーっ、そんなからくりありなのか、という感じ。そもそもぼくのようなど素人は、「信用創造」という概念に既に、くらくらしてしまっているのだけど。
≪より正確に言うと、まず市中銀行国債を借り入れた時点で、政府が日銀当座預金に持つ預金残高が増大する。その際、市中銀行にある預金残高が減るわけではないことに注意が必要である。次に、政府支出の際、政府が日銀当座預金に持つ預金残高が減って、その分だけ家計や企業が市中銀行に持つ預金残高が増える。結局のところ、日銀当座預金は変化せず、市中銀行の預金残高が増大する。≫
●しかし、国債を財源とすることに問題はないのか。将来の世代の負担を増加させることにならないのか、という疑問がわく。だが、その国債日本銀行が再度買い入れることで、将来世代に負担を残すことにはならなくなるのだ、と。
日本銀行がもし公的機関でないならば公的機関にすべきだし、公的機関であるならば国債日本銀行に渡ったところで、公的な赤字が増大したことにはならない。それは右手が左手に借金しているようなものであり、借金としての実質的な意味を持たない。≫≪政府と日本銀行をまとめて「統合政府」としてみなした場合、その「統合政府」の借金が増えることにはならない。≫
これは要するに、≪日銀が発行した貨幣を政府が家計や企業にばらまくことを意味する≫。≪別の言い方をすれば、貨幣発行益(シニョレッジ)を財源として財政支出を行っていることになる≫
●ここまででだいたい全体の三分の一くらい。この「貨幣発行益」というのが今後けっこう重要な概念になる。ここまででも既に、かなり驚くべきことが書かれていると思うのだけど。不況からの脱却のためには構造改革などではなくバラ撒きが必要であり、その財源は税金ではなく国債を利用すべきだ、というのだから、我々が普通に新聞やテレビニュースなどから得ている「常識」とはまったく違っている。そもそもこのバラ撒きは不況脱却のための一時的な処置ではなくてもっと本質的な問題とつながっていて、持続的な貨幣量の増加は資本主義にとって必須であるこがこの後に述べられることになる。貨幣というものに対してもっている常識を覆さないといけないことになる。