●今日つくったもの。





●糊付け中。





●今日のらくがき(水彩紙に水彩絵の具)。これはけっこう気に入っている。





●今日のごみ。





●「赤」という語は赤という意味をもつが、少しも赤くない。たとえばそれより、「りんご」や「毛沢東語録」という語の方がずっと強い赤味を帯びているように思う。つまり「りんご」という「語」は「赤い」のだ。あるいは「8」という数字から強く「赤」を感じる人もいるかもしれない。「赤」という語が「赤」を意味するのは必然であるが、「りんご」は青いこともあり得るし、「毛沢東語録」の表紙が赤いことも必然ではない。青いりんごや黄色い表紙の毛沢東語録を想像することはたやすい。にもかかわらず、「りんご」という語の方が「赤」という語よりずっと赤い。感覚の強さは意味の限定性(厳密性)とは異なる。
しかしそれと同じくらいの強さで、「りんご」という語は「青く」もある。これは、「金星」が宵の明星であると同時に明けの明星でもあるという種類の多義性とはことなる。それよりも、緑色を見ている時、常にその裏側に赤を感じているということの方に近い。「りんご」という「語」は、強烈に赤いと同時におだやかに青い。
とはいえ、「りんご」という語が赤かったり青かったりするのではなくて、その語の指示対象が赤かったり青かったりするということに過ぎないともいえる。「りんご」という語が「赤」という語よりもより強く赤いのは、「りんご」という語の具体性がたんに「赤」と言うよりずっと「赤の記憶」を強く惹起するということだろう。ある色を見ている時、常にその裏に実際には見えていない潜在的な別の色を感じていることや、ある音を聞いている時に実際に聴こえてはいない別の音を感じているということは、人間の普遍的な認知構造にかかわることだと思うけど、「りんご」という語が赤いと同時に青いということは、(普遍的な認知構造も作用しているのは当然だが)個々に固有な記憶の作用によるところが大きいだろう。とはいえ、我々が生きている世界の環境下では、りんごは大概赤かったり青かったりするので、それはかなりの度合いで共有され得る。
ただ、ここで言っているのは「りんご」という語であって、具体的なりんごのイメージのことではない。「りんご」という語は記号であり、そのりんごが赤いか青いか、三つあるのか一つだけなのか、木になっているのかテーブルに置かれているのか等の具体性はそこには含まれていない。いや、逆にそれらの可能性のすべてが既に(同時に)語には含まれていると言える。未だ特定のイメージが顕在化するに至らないからこそ、記号としての「りんご」が既に赤く、かつ青いということがあり得る。「りんご」という語は、あり得る様々な可能性がそこに向けて結集される結節点としてあり、さまざまな可能性が「りんご」という語に向けて集まってゆき、また、「りんご」という語から拡散し、展開してゆく。だからこそ、その語が、赤く、かつ青い、と言えるのではないか。
だから言い直さなければならないのかもしれない。「りんご」という語が「赤」という語より「赤い」のではなく、「りんご」という語の方が「赤の感覚」へと向けて強く作用するものを多く含む、という風に。
では、「8」という数字が「赤い」というのはどういうことなのだろう。数というものを、ただ順番を表わす中性的なものとみることも出来る。でも、例えば、「36」と「47」という二つの数をみるとき、ただランダムな二つの二桁の数字があるというだけでなく、「47」が、「1」と自分自身である「47」以外に約数をもたない(自律性の高い、頑固な)素数であるのに対して、「36」はそれ以外に、「2」「3」「4」「6」「9」「12」「18」と、七つもの約数をもつ(多様性を含む、柔軟な)数字だという風に考えれば、二つはそれぞれまったく異なる性格をもっているとも言える。このようにして、一つ一つの数からそれぞれ違った性質や表情(キャラ)を感じ取ることが出来るとすれば、「8」が「赤い」と感じられることもそう突飛なことではない気がする。
●描写は規定でも定義でも説明でもなくて語の展開であり、語と語との連結-構成であり、語の相互作用なのだと思うから、詳しく書くことによって明確になるとは限らない。「真っ赤なりんご」と書くよりただ「りんご」と書いた方が「赤い」こともあり得るし、「ふじ」や「つがる」と言った品種まで書くことによって、「りんご」と書くだけよりイメージが明確になるわけでも、豊かになるわけでも、曖昧さが減少するわけもないと思う。例えば、「○○地方で獲れる○○種のりんごに特有の赤」と書いたとしても、それはある赤を特定はするかもしれないけど、その「赤」を言葉によって表現したことにはならない(そこで表現されているものは「赤」というよりむしろ、厳密に言わなければ気が済まないような一つの「感情-傾向」、あるいは「○○地方」という語によって惹起されるイメージの方ではないだろうか)。