●前につくったものに少し手を加えた。






●元の状態。






●昨日つくったやつのサイズの大きな写真。






●前につくったやつだけど、上下逆さにした方が面白いかも、と思った。






●「エヴァQ」よりも「009」が気になる。
最近、『東のエデン』を劇場版まで含めて観直したのだけど、改めて、あらゆることが上手くいっていないと思った。キャラクターの造形が上手くいっていない、ボーイ・ミーツ・ガール話と社会派話のつなぎ方が上手くいっていない、社会派の話としても、小情況(主要な人物たちの話)と大状況(社会の状況)のつなぎかたが上手くいっていない。だいたいサークル「東のエデン」のメンバーはあきらかに特別な能力をもったエリートたちなのに、「俺たちニートは…」みたいに、ニートを代表するみたいなことを言うのはおかしいし、「ニート」の表象形として二万人の全裸の男たち(無数の小っちゃい「ちんこ」たち)というのも特に冴えているとも、面白いとも思えない。ゲームの終結や黒幕の正体もありふれている(ゲームの展開も、参加者は大勢いるのに、結局、黒幕的官僚VS天然系革命児みたいな形になってしまうし)。
東のエデン」が開発した画像検索システムにしても、画像検索があんなに高い精度で同一性を検知できるというのは、現在の技術から考えるとあまりにリアリティがなさすぎる(『ロボティクス・ノーツ』の「居ル夫」はおそらくGPSを利用していると思われるので説得力がある、そもそも『東のエデン』を観直そうと思ったのは、確か「居ル夫」みたいなアプリが出てきたよなあ、と思ったから)。そのリアリティは置いておくとしても、あんなシステムが一般化したら、普通に街を歩いているだけで「個人情報全裸開示」状態になってしまうし、他者から勝手に悪意のあるタグを張り付けられてしまうかしれないのだから相当危険なもので、あれを商品として起業するという話も納得できない。「社会派」をやろうとするのならば、そこは致命的ではないだろうか、等々。
「王様のいない国で王子様になろうとした」みたいなナレーションが入るけど、小っちゃなちんこたちの話でもなく、小っちゃなちんこたちを束ねる大きなちんこ(王様)の話でもなく、そのどちらでもない別のちんこのあり様としての「王子様」というもの(機能)が、具体的にどういうヴィジョンなのか最後までよく分からないままで、これだと、やんちゃで強引だけど魅力的な王子様と、彼に付き添う従順な、しかし時に大胆なお姫様の物語で、「社会派」的なものは、それを彩るためのたんなる背景に過ぎなかった、みたいにみえてしまう。
しかし実は、その「一つ一つがいちいち上手くいってない」感じに、それをともかくあのクオリティでやりきっていることに、ちょっと感動したのだった。作品としての良し悪しはともかく、この「上手くいってなさ」からは多くのことを考えさせられるし、教えられるように思った(それと比べることで、例えば『シュタインズゲート』のような語り方の何が画期的なのかもみえてくる)。
で、そこまで「上手くいっていない」(としかぼくには思えない)作品の次に、神山健二が何をやろうとするのかにちょっと興味がある。おそらく神山健二は「大きな話」を語りたい作家なのだと思う。だから『東のエデン』の後で、どういう風に、どうやって「大きな話」を成立させようとするのかが少し気になる。でも、地元のシネコンでは「エヴァQ」はやっているけど「009」はやってない。
●とはいえ、Youtubeにアップされている「エヴァQ」の冒頭の六分の映像はすごい。