●散歩していて、自分が出た中学まで行ってみた。ここまで来たのが何年ぶりくらいなのか分からないが、正門がなくなっていたのに驚いた(おそらく教育実習以来だと思うので二十年ぶりくらいだろう、その時点で既に、ぼくが通っていた頃にいた先生は校長以外には一人もいなかった)。正門のあったところがフェンスでふさがれていて、すこし位置がずれたところに通用門のように小さな出入り口がつくられていた。ぼくが通っていた頃には西門と呼ばれていたサブ的な門が、今は正門という扱いみたいだ。というか、もともとそちらの方が正門だったのかもしれない。しかし、登下校する生徒たちは圧倒的に東側の門から出入りしている人が多かった(ぼくもそうだった)ので、東側の門こそが正門だと思い込んでいたのかもしれない。だけど、昔は東側の門を入ったところに数本の桜の木が植えられていて、桜並木をくぐって学校に入ってゆく感じは、いかにも「正門」的な感じだったのだと記憶している。
●校舎というと四階建てというイメージがぼくにはある。夢に出てくる「学校」も、だいたい四階建てだ。通っていた小学校も高校も(あ、大学も)三階建ての校舎で、四階建てなのは中学の本校舎だけなのだった。しかも、一年生の時は学校の敷地の外に建つプレハブの仮校舎が教室だったし(子供の数が異様に多い世代で教室が――そして教師も――全然足りてなかった)、二年生の頃は敷地の隅にある古くてボロい三階建ての校舎の一階が教室で、四階建ての本校舎に教室があったのは三年生の一年だけなのだ。それなのに、校舎と言えば「四階建て」をイメージしてしまうのは何故なのだろうか。学校のまわりをぐるっと一周しているうちに、あそこが職員室で、あそこが音楽室で、と、いろいろ空間的なイメージの記憶がよみがえってきた。グラウンドは、少年野球の小学生が使っていた。
●あそこは確か技術科の実習をする教室だ、と思った時にふいに、等角投影法で設計図を作図してつくった木製の椅子のことを思い出し、その教室の木屑っぽい空気と、その椅子を作っている時に机に設置されていた万力のことを思い出した(同時に、坂間くんという同級生の顔もなぜか思い出した、設計図の出来を自慢していたからだと思う)。
今はどうか知らないけど、神奈川県の中学では昔は、中二の時に県下で一斉にアチーブメント・テストというのが実施されて、県立高校の合否の判定は、入試の成績と内申書に加えて、中二時点でのア・テストの結果が判断材料となるのだった。入試は五科目だけど、ア・テストは実技科目も含めた九科目のテストが行われ、技術・家庭のテストでは必ず等角投影法の作図問題が出題され、体育のテストでは必ずオフサイドの問題が出て、音楽では必ず移調の問題が出るのだった。
●正門(と思っていた門)がかつてあった場所からの風景。道がアスファルトで舗装された以外は、まったく変わっていない。






●市街調整区域にある中学のまわりは田畑ばかりがつづいている。三十年前と変わらない風景。