●昨日の夜中、そろそろ寝ようと思いつつお酒を飲みながらなんとなくネットを見ていて、ニコニコ動画で『シュタインズゲート』のすごい聖地巡礼動画を見つけてしまった。第1集から第4集まであって(第5集へつづくというような予告があったけどそれは探してもみつからなかった)、一本だいたい十分弱の動画を四本つづけて食い入るように観てしまった。ぼくは『シュタインズゲート』が本当に好きなので、お酒が入っていることもあってちょっと泣きそうになってしまった。ここには第1集だけリンクを張っておく。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15657788
ここまで執拗に追いかけるマニアもマニアだけど、ここまで忠実に秋葉原を再現している作品も作品だと思った。実写で、オール秋葉原ロケで映画を撮ったとしても、ここまで「秋葉原」にはならないのではないか。これはむしろ実写ではないからこそ可能なことで、建築模型とかジオラマをつくる感覚に近いのかもしれないような、ある空間や土地をまるごと飲み込みたいというか、その空間の可能性を使い尽くしたいという感じなのではないだろうか(実写の撮影ではあまり必要のない「設定を細かく作り込む」ということが必要となるから)。そしてそれが架空の土地ではなく実在する土地で、たんに作品のモデルというのではなく、風景が作品と現実の間に多数の対応関係をつくりだす多数の参照点となっているというところが面白いし、それが、同じ土地で同じ時間を、しかし異なる世界線(異なる可能世界)として何度も反復するというこの物語の内容ともぴったり重なっている。
で、この動画が面白いのは最初がラジオ会館の場面の検証からはじまっているところ。ラジオ会館は今はもう取り壊されていてなくて、おそらくこの動画は撮り壊される直前くらいに撮られたのだと思われる。『シュタインズゲート』は秋葉原という土地の風景を忠実に再現していて、あの場面のあの場所に行ってみようと思えば実際に行くことが出来るのだが、最も重要な舞台といえるラジオ会館は既にないので行けない。しかしそれはかつて確かにあったのだという証拠が、動画として残っている。しかも内部に入って、あの場面の舞台はここではないかと、詳細にレポートまでされている。だが、今、その動画を観ているぼくにとって、『シュタインズゲート』の舞台であるラジオ会館と、実際にあったが今はない(そこへ行くことは出来ない)動画として観られるラジオ会館とは、どう違うというのだろうか、と、混乱してくる。一方はフィクションの舞台であり、もう一方はかつて実際にあったものであり、その二つはとても似ているが、細かいところでょっと違っている(この微妙なズレはけっこう重要)。そしてそれはどちらも、(今となっては)実際に訪ねることは出来ない。ラジオ会館が「既にない」ことによって(しかし、検証動画が残っていることによって)、現実とフィクションの違いの区別が(あくまで、作品を経験するぼくのなかでは、ということだが)溶解される。作中世界は「ない(行けない)」からと言って、それが「なかった」とは言い切れないという感触が生まれる。
●そして『シュタインズゲート』は、以下のような帰結へ到達する。ここでは、実際にはなかった現実(可能世界における現実)を、なかったことにしてはいけない、ということが言われている。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15594565