●今日はさすがに寒かった。
●「現代思想」一月号のヴィウェイロス・デ・カストロ、とても面白い。
●『ささみさん@がんばらない』、二話。冒頭で、一話で起こったことの内実とざっくりとした設定の説明がされるのだけど、それがいかにもありがちな感じなので少しがっかりする。二話それ自体もあまり面白くなかった。
●『ロボティクス・ノーツ』。冒頭でフラウが、寒い部屋に一人ぽつんと居て、「寒い、このままわたしを凍らせて、永遠に保存してくれたらいいのに」と言い、すかさず、「これはひどい、なんという中二病ポエム」と自己ツッコミを入れる場面を観て、ほんの少しだけ「萌え」という感情を理解できた気がする。
●(ちょっと昨日の補足)『化物語』は、テレビ放送の十二話分だけを観ると、メインヒロインは戦場ヶ原ひたぎのようにみえるけど、DVDで出ている十五話までを観ると、それが逆転して羽川翼となり、さらに、『偽物語』、『猫物語(黒)』とつづくことによって、世界は完全に羽川翼に支配され、戦場ヶ原ひたぎの存在はどんどん希薄になってゆく。だけど、アララギコヨミにとって(『流れよ我が涙…』におけるバックマン兄妹の関係のような)世界の基底を支えるようなもっとも根底的なところを掴まれている関係にあるのは実は忍野忍(吸血鬼)で、しかし彼女との具体的な来歴は描かれていない。というか、アララギコヨミと忍野忍の関係は世界の基底面としてあるがゆえに、リテラルな物語として(図として)描くことは出来ない。断片化されたフラッシュバックとしてしか「この世界」には現れない、時間の外の(時間の外にあって時間の始まりを告げる)出来事である。存在すると同時に存在しないものとしての「起源」のようなもの。
(全体としてあまり面白くない『偽物語』で面白いといえるのは、そのような意味で世界の根源であり、時間の起源でもあるような忍野忍が、そうであると同時に、たんなる表層的なエロ要素のバリエーションの一つとして消費されてしまってもいる、という点だろう。ここには、異様な次元のねじれがあるといえるかもしれない。)
知らないけど、でも、西尾維新の原作ではそこ(春休みの出来事)まで描かれているのだろうか。もし、忍野忍との来歴を具体的に描いてしまうとしたら、この作品はどうなるのだろうか。フラットになり、薄っぺらになってしまうのか。あるいは、忍野よりさらに深い深層が設定されるのだろうか(でも、そうなると「深層(あるいは起源)」の無限後退となり、深層のインフレが起こってしまう)。それとも、戦場ヶ原<羽川<忍野という階層関係ではなく、戦場ヶ原―羽川―忍野―戦場ヶ原―羽川―忍野……、というような、異次元をまたいだ、ねじれた循環関係のようなものがたちあがってくるのだろうか。