●お知らせ。明日、三月一日付けの東京新聞、夕刊に、プリズミックギャラリーの柄沢祐輔展のレビューが載る予定です。
●『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八)をDVDで。ちょっと分かり易く図式化し過ぎという傾向がある(特に最後の方とか)とは思うけど、全体としてはとても丁寧に作られていて、すごくいい感じの青春映画だと思った。よくある感じといえばよくある感じだけど、それは普遍的だということでもある(ちょっと、中原俊の『櫻の園』とか思い出した)。キャスティングがいいし、一人一人の描写も丁寧で、バランスもよく、後から考えると、なにげに伏線が貼りまくられているのも分かる。でも、だからこそ、「不在の桐島」という、昔の前衛映画みたいな仕掛けはなくてもいけたんじゃないかと思ってしまうところもある(そう言っちゃうと元も子もないのかもしれないが)。これはあくまで青春映画なのだから、桐島の不在があまり意味ありげになってしまうのはまずいのではないか、と。部活をやめる桐島を特権的存在にしないで、他の人物たちと同じように普通に出してきた方がよかった気がする。
視点を変えて時間が繰り返される手法はそれほどわざとらしくなく自然な感じで、この映画が示すものが物語とは別のもの(広がりや重なり)だということをよく表していると思ったけど、最後の屋上の場面は二回に分けることで冗長というか、説明的になってしまっていて、ここは一回で通さないとダメなのではないかと思った(観ながらふと、これって「木更津キャッツアイ」なのか、とか思ってしまった)。描写と説明の違いというのはあるよなあ、と。神木隆之介東出昌大の屋上での会話の場面も説明的だと感じてしまった。神木隆之介がその心情を言葉で説明しちゃったら、いままでの描写は何だったのかと思ってしまう。例えば、野球部のキャプテンが「ドラフトが終わるまでは…」という以上のことを語らないことによる、映画としての「語るもの」の大きさと深さに比べて、語られた心情がずいぶんと薄っぺらく感じられてしまうと思った(「ドラフトまで…」という言葉はそれだけで、実質的には神木隆之介の心情吐露とほぼ同じことを語っていると思う)。あの場面であの二人に何を語らせ、何をさせるのかというところを、もう少し粘って、詰めてつくってもらえたら、「ああ、いい映画を観たなあ」という感じで観終えられただろうにと思った。あと、屋上の出来事と吹奏楽部の演奏がシンクロするもの、ちょっとやりすぎかなあ、と。前半から中盤は丁寧に描写で押していたのに、終盤、性急にまとめに入り過ぎている、という感じ。まあ、これは趣味の問題にすぎないかもしれないけど(徹底して「説明」で押しまくる映画というのもあり得ると思うけど、この映画は少なくとも中盤まではそうではなかったと思う)。
「ドラフトが終わるまでは…」という言葉は、キャプテンが東出昌大(によって演じられる人物)に向かって言った言葉であり、観客はそれをたまたま耳にする(それが結果として観客に届く)、のだけど、屋上での心情吐露は、神木隆之介(によって演じられる人物)が東出昌大(によって演じられる人物)に対して言っているというより、映画の作者が観客に対してする説明(言い訳)を、神木隆之介が代弁させられている感じになっていると感じた。そうなると場面は途端に弱くなる。全体として神木隆之介はすごくいいとは思うけど。
●『へんげ』(大畑創)をDVDで。面白かった。だんだんおかしくなってゆく主人公は、ときおり、異言のような、意味不明の謎の言葉を発するのだけど、この感触が、たんに視覚的な効果による気持ちの悪さとは別の、遠くにあり、しかし脈々と続く何ものかへの接続という(遠くにあり、そしておそらく人間よりも古くからあるものが浸食してくる、という)、独自の恐怖の感触を呼び起こす。ここにこそ(この「遠さ」にこそ)、この作品のリアリティの重要な部分が賭けられているように思う。そして、最後の最後で主人公がすっかり異質な存在になった時、ずっと主人公に寄り添っていた奥さんに、一瞬だけ(この、一瞬だけというのがよいのだが)異言が乗り移ったかのように、奥さんの口から異様な音がこぼれ出る。この、異言の(一瞬だけの)伝染があるからこそ、「行けー」という言葉が生きてくると思った。
ただ、この感じは、この、若く新しい監督によってもたらされた新しい何かというものではなく、ずっと受け継がれてきた何かの変奏ではある(そして、一つの変奏として、それほどとびぬけているというわけではないし、ユニークというわけでもないと思う)。でも、だからこそこの感じは、恐怖というものの普遍的な形の一つだとも言えるのだと思う。
●『たまこまーけっと』八話。ここ三週くらい「もち蔵」を見ていない気がするのだけど…。あと、銭湯の娘の結婚話は、あれでもう済んでしまったということなのか…。それはともかく、ようやくこの作品をどう観ればよいのかわかってきた気がする。つまり、二話を観て、すげー、来たー、と思ってぼくが興奮して期待していたような感じは、ちょっと期待の方向としてズレていたかもしれないことが、ここまで来てようやくわかってきた。それは、つまらないとか失望したということではなく、これはこれで面白いのだが、勝手に期待していたようなものではなかった、ということ。今後はちょっとチューニングを変えて楽しみたい。